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【必見】PART1「普通」に馴染めないのは、あなたのせいじゃない。―発達障害や生きづらさを抱えるあなたへ

Yuki.Kyoto

こんにちは、人間形成の場 エンパワLaboの有岐です。

皆様いかがお過ごしでしょうか? 

 

 

最近、休むことや、心にゆとりを持つことが、

まるで悪いことのように思えてしまう。

そんな、何かに追い立てられてる毎日を過ごしていませんか。

 

誰もが忙しく、正しさに追われ、マルチタスクをこなし、空気を読み、決められた時間に一斉に動く。 
この社会は、ある特定のタイプの人にとっては非常に効率よく作られています。 
 

同時に複数のことを処理できること。 
暗黙の了解を即座に読み取れること。 
決められた時間に、決められた行動を、皆と同じようにこなせること。 

 

 

これが「標準」として、教育も労働も制度も組み立てられてます。

そして適合できない人は、医療や教育の現場で「治療」や「訓練」の対象となります。 
問題は、

その規格が唯一の正解として設定されているということ。 

 

この社会に適応しようと無理に自分を書き換えると、それは、 

自分自身の根っこを壊していくこと」を、その代償として支払うことになります。 

 

 

「できない自分」を責め、無理に自分を変えようとすれば、心は悲鳴を上げます。 

それが、

理由のない不安だったり、抑えられない衝動だったりする。 

今の日本には、「無理に変わらなくても、自分を保ったままいられる場所」が、あまりにも少なすぎるのです。 

 

 

問題が起きたとき、私たちは病院やカウンセリングに答えを求めます。  

もちろん、薬で症状を抑え 、共感の言葉に救われることもあるでしょう。 
私はそれ自体を否定するつもりは全くありません。 

 

ただ、 

「つらかったですね」「あなたは悪くない」 

その言葉は、実際、その場の痛みを和らげる効果はあります。 
でも問題は、その効き方の方向です。 

 

これらの言葉は、出来事の原因を本人の外側に完全に置きます。 
「あなたは被害者であり、状況が悪かった」という整理は、理解としては正しい。 
しかし同時に、 

「自分がどこに立ち、何を選ぶか」という視点が、会話の中から消えてしまう可能性があります。 

 

 

結果として起きるのは、「行動の停止」です。 
これ以上考えなくていい、動かなくていい、という安心が生まれる。 
それは、一時的な回復にはなっても、 

状況を別の角度から捉え直す力までは育てません。 

 

 

さらに、この言葉は関係性を固定しがちです。 
語る側は「支える人」、 

語られる側は「守られる人」。 
 

この配置が無意識のうちに繰り返されると、

その人はいつまでも「問題を抱えた側」に留まります。 

つまり、

感情は落ち着くけれど、立っている場所は変わらないのです。 
立ち位置が変わらない以上、見える景色も、選べる行動も、ほとんど変化しません。 
その結果、時間が経っても、同じ種類の出来事が、形を変えて起き続けることになります。 

 

これは共感が間違っているという話ではありません。 
共感が「自らの思考と選択の回路を閉じてしまう形」で使われたとき、 

世界線は更新されにくくなる、ということです。 

 

必要なのは、気持ちをなだめる言葉ではなく、 
「この状況の中で、自分はどこに立てるのか」という視点を取り戻すこと。 

 

 

病院の「対処療法」には限界があり、 カウンセリングは、起きた火を消す「消火活動」です。

しかし、 

そもそも火種が生まれる「社会構造」という乾燥地帯に身を置いている以上、火は形を変えて燃え続けます。  

今必要なのは、火を消す技術ではなく、 

外側からの熱に振り回されず、自分を燃やし尽くさずに済むための、

「内側の安定した器」を持つことです。 

 

 

この社会のひずみは、一番守られるべきはずの親子関係にその圧を押し付けています。 

「親が正しく導かなければならない」 
「問題は早く解決しなければならない」 
 

そんな世間の無言の圧力が、親を「家庭内の警察官」 に変えてしまう。 

良かれと思ってかけた言葉が、かえって子供を追い詰める。 

親が「解決する側」に固定される限り、子どもは「問題を抱えた存在」から抜け出せないのです。 

 

私は、ADHDと自閉症を持つ息子と共に、この場所で20年以上、道のない道を模索して歩いてきました。 

今回は、 

社会が、綺麗なハンカチで覆い隠してきた「歪み」を、現実的に見つめて、 

その上でどうやって「自分の軸」を取り戻していくのか。  

その、一歩ずつの路を共有させてください。 
 
今回の話は、私の物語ではありません。 

私個人が今の社会で、何ができるのかを考え、自分ができる、ほんの「砂粒」ほどのご提案です。 

 

でも、何もしなければ何も起きない。 

そんな気持ちが届く事を願っています。 

 

 

 

教育という名の選別—「親子の役割」をゆがめていた小さなボタンの掛け違い

 

子供が小学校に上がった途端、それまで色彩豊かだった世界に、急に細かな「境界線」が引かれ始めます。 

筆箱の中には、決まった数の鉛筆と消しゴムが入っていなければならない。 先生の話を聞きながら、同時に連絡帳を正確に書き写さなければならない。 

それは一見、ただの習慣やしつけのように見えますが、実際には、脳の「マルチタスク処理能力」を一斉にテストする選別装置です。 

一度に複数のことをこなすのが苦手な息子にとって、教室は平穏な学びの場ではなく、常に「失敗」が約束された場所になっていきました。 

毎日、学校から帰ってくる息子の筆箱は、朝持たせたはずの鉛筆が消えて空っぽでした。 連絡帳は真っ白のまま。宿題が何かも、明日何が必要かもわからない。 

そんな毎日の中で、私は「どうにかして、この子を普通に馴染ませなければ」と必死でした。

当時はまだ、発達障害という言葉が今ほど認知されていない時代。 

周囲から「だらしない子」「しつけのできていない親」と思われる恐怖に、私は飲み込まれていました。 

私は「やり方」で彼を正そうとしました。 

できた日はカレンダーにシールを貼り、ご褒美を用意する。 忘れたら、放課後の学校へ自分で取りに行かせる。 

今ならわかります。 
それは、脳の「快楽報酬系」に働きかけ、動物を調教するのと同じやり方でした。 

 

「取りに行くのが嫌なら、次は忘れないだろう」

そんな私のこそくな計算は、息子の心に届く前に、彼のなけなしの自尊心を砕いていきました。 

夕暮れの学校へ、うなだれた後ろ姿で忘れ物を取りに行く息子。

 それを見送る私の心も、本当は苦しくて仕方がなかった。

でも、

それが「正しい親の姿」だと信じ込んでいたのです。 


私が「解決者」として彼を正そうとすればするほど、そこには「条件付きの愛」しか存在しなくなりました。

「できれば愛される、できなければ正される」というメッセージ。 

それは、彼が一生抱えていくことになる「劣等感」という名の種を、親である私の手で、深く植え付けてしまった時間でもありました。 

親を「警察官」という役割に閉じ込め、子供を「未完成の不良品」として扱わせる。 この残酷な構造が、

家庭という密室で、誰にも気づかれないまま始まっていた。

 


今回は、ここまで。
次回、この続きをお楽しみに。
氣功師の有岐でした。

专栏文章仅为讲师个人观点,不代表 Cafetalk 立场。

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