大学に入学し、希望に満ちあふれた春から3年が過ぎた。
気がつけば大学4年生。留年生だった当時の私は、心も少し疲れ切っていた。
「一般教養の残りは、できるだけ楽そうな授業にしよう」
シラバスを眺め、ネットで調べ、後輩にも聞いた末に選んだのが、
「考古学」という何とも興味のわかない科目だった。
授業はスクリーンに映し出された写真の解説が中心で、出席確認やレポート提出もない。
そのため、回を重ねるごとに教室の学生は少しずつ減っていった。
一方の私は、もう二度と単位を落とすわけにはいかない。
出席点がなくても毎回欠かさず授業に出席し、教授の話を真面目に聞いていた。
それまで私は、考古学は歴史の授業に近いものだと思っていた。
しかし実際には、遺跡の調査や地層の分析など、地学や地理とも深く関わる、とても科学的な学問だった。
そんなある日、任意参加の課外学習として、教授と一緒に江戸東京博物館を見学するイベントがあった。
「さすがにみんな参加するだろう」
そう思っていたが、集まった学生は私を含めてわずか7人だった。
教授の解説は本当に面白かった。
入口に展示されていた江戸の地図一つをとっても、
その背景や当時の暮らしについて次々と話が広がっていく。
当時は「発掘された日本列島展」という企画展も開催されており、
日本各地の遺跡から出土した土器などが展示されていた。
その中でも特に印象に残っているのが、「是川遺跡」の土器である。
地元ではそれほど脚光を浴びていなかった遺跡だったので、
その土器が博物館で大切に展示されていることに驚いた。
価値というものは、自分の知っている世界だけでは測れないのだと感じた瞬間だった。
また、江戸時代の小判も展示されていて、
大きさや色合い、輝きの異なるさまざまな小判が並んでいた光景が、なぜか今でも記憶に残っている。
歴史はもともと暗記が苦手で、受験勉強でも足を引っ張っていた科目だった。
それでも、考古学の講義を通して詳しい説明を聞いてみると、
「なぜそうなったのか」が少しずつ見えてきて、自然と興味が湧いてきた。
例えば、「海に近い地域だから魚や貝が貝塚から見つかる」という話も、
考えてみれば当たり前のことだ。
しかし、その「当たり前」を意識して考えたことは、それまで一度もなかった。
「なぜ」を考えること。
これは、どんな勉強にも共通する大切な姿勢だと思う。
あのとき考古学の教授から学んだことは、今でも私の授業の土台になっている。
今振り返ると、「単位が取りやすそう」という理由で選んだ授業が、
大学生活の中でも特に印象に残る学びになっていた。
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