最近、長くレッスンを続けてくださっている生徒さんから、
「まだ全部わかるわけではないけれど、字幕なしでも映画やドラマを楽しめるようになりました」
というお話を聞くことが増えました。
字幕なしで楽しめるようになりたい。
英語を学んでいる方から、よく聞く目標です。
ただ、この目標については、少し気になっていることがあります。
英語を長く学び、かなり高いレベルまで来ている方からも、
「字幕なしは、私には無理です」
という言葉を、ときどき聞くからです。
英語を教えている方が、「私も、映画はなかなか聞き取れません」と話しているのを見かけることもあります。
もちろん、映画の英語を一語も漏らさず聞き取り、わからないことが一つもなく、誰に聞かれてもすべて説明できる、という意味での100%なら、簡単なことではありません。
母語であっても、知らない言葉や言い回しはあります。英語には、発声や発音の特徴、音の変化、方言を含むさまざまな話し方もあります。
でも、多くの方が言う「無理」は、そのもっと手前にある、根本的な「聞き取れない」という感覚なのではないでしょうか。
英語の音が、そのままでは捉えられない。話している人の意識の動きを、その場で追えない。聞こえた英語を解釈するのに時間がかかり、作品の流れについていけない。
「字幕がなければ作品を追えない」という感覚の中では、むしろ、そうした根本的な「無理」の方が、大きな部分を占めているのではないかと思います。
私は、字幕なしで楽しむことそのものは、決して一部の特別な人にしかできないことではないと思っています。
実際に、そうなってきた方のお話を聞いていると、少し印象に残ることがあります。
みなさん、「全部わかるようになりました」とは言わないのです。
むしろ、全部はわからない。
それでも、以前とは全然違う。
必死に聞かなくても音が聞こえる。話していることを、その場で受け取れる。知らない言葉が出てきても、そこで全部が途切れない。
そして、わからなかったときにも、何がわからなかったのかがわかる。
同じ「全部はわからない」でも、そこにある感覚は、以前とはまるで違う。
そして、その違いをいちばんよく感じているのは、ご本人なのだと思います。
日本語の中で、英語のパズルを解く
英語を聞いているとき、聞こえた単語をいくつか拾って、意味を考えることがあります。
この単語が聞こえた。
画面では、こんなことが起きている。
だから、たぶん、こういう話だろう。
文脈から推測することは、もちろん必要です。
ただ、ときどき、英語を受け取っているというより、英語から拾った断片を使って、日本語の中で推理ゲームをしていることがあります。
聞こえたものを日本語としてつなぐ。
そこに筋の通る話ができあがると、なんとなく、英語もわかったような気がする。
私自身も含め、知らないものに出会ったとき、頭は、わかる形に整えようとします。それは、とても自然なことなのだと思います。
ただ、日本語の中できれいに話が完成してしまうと、実際にはどこまで英語を受け取っていたのかが、かえって見えにくくなることがあります。
全部わかる前から、英語の中にいられる
長く受講してくださっている生徒さんたちを見ていると、聞き取れる単語が増えただけではないように感じます。
英語の音を、すぐに日本語で扱いやすい音へ直さずに受け取る。
言葉が現れる順番のまま、話している人が何を捉え、どこへ意識を動かしているのかを追っていく。
知らない言葉があっても、その前後まで全部日本語へ持ち帰らず、わからないものを、英語の中に少し置いておく。
そうしたことが、少しずつできるようになっているように見えます。
すると、全部はわからなくても、ここまでは受け取れた、ここからはまだわからない、という境目が残ります。
わからないところを、無理に日本語で埋めなくても、そのまま次の言葉を待てる。
だから、作品の流れから落ちずに、登場人物の表情や声の調子と一緒に、その場面を楽しめるのかもしれません。
そして、この変化は、映画やドラマを見ているときだけに起きるものではありません。
英語を英語の中で受け取れるようになってくると、実際の会話にも、少しずつ余裕が生まれます。
知らない言葉が一つ出てきても、それまで受け取っていたものが、全部消えてしまわない。
必要なら聞き返しながら、そのまま相手との間にいられる。
相手が何を伝えようとしているのかだけでなく、今、何を捉えているのか。どこで迷い、どこに確かさを感じ、どこで気持ちが動いたのか。
言葉の意味だけではなく、その奥で動いている、相手の人間としての意識まで、少しずつ追えるようになっていきます。
「字幕なしでも楽しめるようになった」と感じる頃には、実際のコミュニケーションも、以前とはずいぶん変わっている。
生徒さんたちを見ていると、そんなふうに感じます。
知らない英語も、残るようになる
もう一つ、興味深い変化があります。
知らない言葉を、知らないからと、そのまま通り過ぎなくなることです。
意味はまだわからなくても、聞こえた音を、音として少し残しておける。
そして、別の作品や会話の中で同じ音に出会ったとき、
「あ、この音、前にも聞いた」
と気づくことがあります。
その場ではわからなかった英語が、次に出会ったときに、少しだけ輪郭を持つ。
さらに別のところで出会い、意味や使われ方がつながってくる。
知っている英語だけを手がかりに理解するのではなく、まだ知らない英語も、楽しみながら少しずつ蓄積できるようになっていきます。
「全部わからなくても楽しめる」というのは、わからないままでよい、ということではありません。
英語の中にいられるようになると、知らなかった音や言い回しも、聞こえないまま通り過ぎず、次に出会うための小さな手がかりとして残ります。
出会うたびに少しずつ輪郭がはっきりし、実際に受け取れる英語そのものが増えていく。
そうして、作品のほとんどを、無理なく自然に追えるところへ近づいていきます。
発音のレッスンで、英語の音をそのまま受け取れるようになること。
文法のレッスンで、言葉の奥にある、話者の意識の動きを見ていくこと。
一見、別々に見える練習ですが、生徒さんたちの中で、それらが少しずつつながっているのかもしれません。
字幕なしで映画を楽しめるようになることは、その変化の、ひとつのわかりやすい現れです。
でも、その頃にはもう、映画を見るときだけではなく、実際に誰かと話すときの聞こえ方も、相手そのものの受け取り方も、以前とは違っています。
全部わかるようになるのを待たなくても、英語の中にいられる。
わからないものを含んだまま、笑ったり、驚いたり、相手の次の言葉を待ったり、自分の言葉を返したりできる。
長くレッスンを続けてくださっている生徒さんたちが話す「楽しめるようになった」という言葉には、そんな変化も含まれているように思います。
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英語の知識は増えているのに、実際の会話や映画になると、いつの間にか日本語で意味を組み立て直している気がする方へ。
発音と文法の両方から、英語の音や、言葉の奥にある意識の動きを一緒に見ていくことができます。
→ 英語の発音矯正(アメリカ英語)
https://cafetalk.com/lessons/detail/?id=354813&key=5f7458e1d4d0b690bc49f8b902ce2cbb
→ ネイティブ感覚の英文法(45分)
https://cafetalk.com/lessons/detail/?id=369623&key=bd1e133253ab4c1f966b9197836cc9f9
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