僕の考え方を変えてくれた本の一つが、『サピエンス全史』です。
この本では、人類がどのような歴史を歩み、現在の社会を形づくってきたのかが描かれています。
中でも僕が興味深く読んだのが、「虚構」に関する部分です。
虚構と聞くと、単なる作り話のように感じるかもしれません。しかし、本書では、人々が共通の物語を信じることで、大規模な協力が可能になったと説明されています。
例えば、国家や宗教、企業など。
こうした共通の認識があるからこそ、顔も名前も知らない人々が協力し、現代の複雑な社会が成り立っています。
身近なところでは、アイドルも少し似ている気がします。
アイドル本人はもちろん実在していますが、ファン同士が共有するイメージや物語が、人々を熱狂させ、ときには心の支えにもなっています。
目に見えない物語が、これほどまでに現実の人間を動かす。
そう考えると、なんだか不思議ですよね。
言葉が持つ、もう一つの力
そして、こうした物語を人々が共有するためには、**「言葉」**が重要な役割を果たしているのではないかと思いました。
言葉には、目に見えないものに意味や輪郭を与え、他者に伝える力があります。
ここからは本の内容を少し離れて、僕自身が言語について考えたことです。
例えば、日本語の「愛している」と韓国語の「사랑해(サランヘ)」。
基本的には同じ意味ですが、個人的には、使う場面や言葉から受け取る感覚が少し違うように感じることがあります。
どちらが深いというわけではなく、同じような感情でも、言語によって少し違った角度から捉えられる気がするのです。
そもそも感情も、僕たちの中に確かに存在しているのに、直接目で見ることはできません。
そして、その漠然とした感覚に輪郭を与えてくれるものの一つが言葉なのではないでしょうか。
そう考えると、外国語を学ぶことは、自分の感情をより彩度高く捉えるための手段にもなるのかもしれません。
言語は他者とのコミュニケーションツールとして捉えられがちですが、自分自身との対話も豊かにしてくれるのではないか。
そんなことを『サピエンス全史』を読みながら考えました。
皆さんは、外国語だからこそ、しっくりくる感情や表現に出会ったことはありますか?
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