私のイタリア生活は、水の都ベネチアから始まりました。
イタリア語の学校に通いながらベネチアで暮らした部屋は、もともとカトリックの聖職に就く僧侶たちが暮らしていた修道院を改造した建物でしたので、それぞれの部屋はとてもシンプルで、建物全体も庭と教会、運河に囲まれた静かな場所でした。
どの部屋もほぼ同じつくりになっていて、小さな机とベッド、そして衣類などをしまう縦長のクローゼットが置いてあり、あとはトイレとシャワーが設置された洗面所があるのみです。そして、ベッドの頭上方向の壁にはキリストが描かれた十字架がかけられています。これまで、アッシジという別の街でも修道院に宿泊させてもらいましたが、ほぼ同じような部屋のつくりで、十字架も同じくベッドの頭上にありました。
このような修道院で寝泊まりして感じたことは・・・・・実のところ、とくに神聖な気持ちになるというのでもなく、考えることはいつもの自分となんら変わりありません(笑)。その日の友人との約束事についてだったり、夕飯の予定や、宿題について。部屋で動画も見れば、音楽も聞いていました。
ベネチアの寮では、外国人用に割り当てられたフロアの下は、地元の大学に通う大学生たちが住んでいて、夕方共同のキッチンに降りていくと、若い彼らと鉢合わせ、楽しいおしゃべりをしながら料理をして夕飯を共にしたこともあります。
それでもときどき、私の部屋の窓から見える美しい庭とその先に広がる運河の夕日を眺めながら、昔の僧侶の人たちは、ここでどんなことを考えていたのだろう?!と想像してみることはありました。もしかしたら、彼らもたいして変わらないことを考えていたのかもしれない、たとえば、「今日の夕飯は何かな」「明日は○○ちゃんに会えるかな」など・・・・???
先日、ここフィレンツェにある、もと修道院で現在は美術館となっている「サンマルコ美術館」に行ってきました。2階は僧侶の部屋それぞれの壁に直に描かれた宗教画が展示されていて、ひとつひとつが聖書の重要な場面を表現しています。広さは私の住んでいたベネチアの部屋の半分くらい。壁には小さな窓があります。そこから見える景色はほぼお庭なので、もしかしたらほとんど今と変わらないのかもしれません。
でも、何百年も昔のイタリアで、彼らの暮らす小さな部屋は彼らの生活すべてであり、人生だったのかもしれません。今のように、他に行く場所もなく、複雑な人間関係もないでしょう。だから、この部屋は彼らの人生の拠点であり、心のすみかだったのだと思います。心を静かに保ち、祈りをささげながら見える景色は、心の窓に映る景色だった。雨の日も、雪の日も、風の日も、静かな心で見つめる景色は、穏やかだったことでしょうし、少し動揺した心であればまた違って見えたことでしょう。
この宗教画の書かれた小さな部屋を見ながら、心の窓に映された景色がどう見えるのかは、心の在り方次第だったのだろうな、と思ったある日の午後でした。
皆さんの心の窓からはどんな景色が見えていますか?
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