※「京都徒然(つれづれ)」は、わたしが京都にいるときに見たこと、感じたことをお伝えするコラムです。
( 徒然(つれづれ)…何もすることがなくぼんやりしていること)
私は、京都にいるときは、
特に行き先も決めずに京都の街を歩きます。
先日、昔 通(かよ)っていた大学の中を歩き、
自分が座(すわ)っていた教室の前を歩いたとき、
突然、"maigre" というフランス語が、頭に浮かびました。
それは、
仏作文(ふつさくぶん)の授業で、
私が提出(ていしゅつ)した作文に、
フランス人の先生が赤字で書いた一言です。
もちろん、私は、この言葉の意味がわからず
帰って辞書で調べたら
「やせた」という意味が出ていました。
もちろん、評価が低いのはわかっていましたが、
なるほど、
さすが、フランス語では、
文章に「やせる」という言葉を使うんだ、と妙に感心しました。
一言で、私の作文を言い当ててます(笑)。
(今、あらためて調べると、
maigreという言葉には「貧弱(ひんじゃく)」という意味もありますので、
どちらかというと、そちらの意味だったのだと思いますが、
私には「やせた」文章という言葉が新鮮(しんせん)で強烈(きょうれつ)でした。)
それだけの話ですが、
なぜ
50年近くたった今、
昔の教室の前でそれを突然(とつぜん)思い出すのでしょう。
風景には、記憶を蘇(よみがえ)らせる力があるのだと思います。
昔 暮らした街、昔 通った学校、昔 歩いた散歩道、
風景はいつも何かを思い出させます。
もちろん、いいことも、悪いことも。
そして、その時の自分と今の自分の間にある時間に思う時、
人の人生というものも捨てたものではない、と思います。
なぜなら,
悪いこと、悔やまれることも
すでにどうしようもない過去にあり、
しかも、それが遠い過去であることで、
ちょっとだけ懐(なつ)かしいものになるからです。
これは年をとった人間の特権(とっけん)です。
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KOBA
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