こんにちは。セラピストの Marigold です。
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私はキャシー天野さんからアクセスコードリーディング(ACR)というセラピーを学びました。ACRは、クライエントとセラピスト2人でする瞑想のようなものだなあと私は思っていて、私たちの意識の構造を使って、普段気づきにくい意識の深いところへ触れていく試みです。ACRはセラピストである私がクライエントさんの話を聴いて仮説を立てて進めるものではなく、問いかけによってクライエントさんから発せられるフェルトセンスを手がかりに進展していきます。
フォーカシング指向心理療法で有名な哲学者で臨床心理学者のユージン・ジェンドリンが interaction first と言っているように、ACRも人や物が起点となってそこから事が生じるのではなく、相互作用(意識の働き)が先に起こります。つまり、関係性によって導かれながらセッションは進んでいきます。これは現象学でもあります。
私たち人間の世界は、動物が住む自然環境の世界とは異なり、さまざまなルールの網の目からなる関係性の世界です。このルールの網の目は、言葉や習慣、制度や社会規範、歴史などから成っていて、言葉を使う私たち人間は、本能の代わりにルールの束(自我)をつくり、それで生活の秩序を作り上げています。私とは、それ自身がルールの網の目のようなものです。
それらのたくさんのルールは幼少期から私たちの中に身体化されていきます。身体化されることによって、それらは忘れ去られ、「当たりまえ」になり、土台としてあるわけですが、私たちはこのルールの束(土台)を意識することはまずありません。
この土台は私たちにとっての「当たりまえ」ですから、そこに対してなんか変だよね、おかしくない?というようなダメ出しをすることもまずありません。
これは例えていうと、私たちは道を歩く時に、一歩一歩、足元の道路(土台)が崩れないか、その安全性を確かめながら歩くようなことをしないのと同じことです。
でもある日、普段歩いている道路に突然ひびが入って、その割れ目につまづいて転んだとしたらどうでしょう。
とてもびっくりすると思います。
非日常的なことが起きて初めて「当たりまえ」だったことに気づく。
日常に目覚める。
これと同じことがセッションでも起きてきます。
自我とは暗黙のうちに形成された価値のルールともいえます。これがうまく働いているうちは何も問題はないのですが、悩みがあって苦しくて仕方がないときというのは、「当たりまえ」でいられなくなったときなので、その「当たりまえ」の土台にひびが入りやすくなっていて、逆に言うと下を観るチャンスでもあります。
これは私自身を見つめ直すこころみでもあって。
自分のことだからわかるという直接経験をすることによって、自分にとっての「当たりまえ」に気づくことで、あ〜そういうことか!というような。そしてそこには、時間はかかるかもしれませんが再構成をする道が開かれていることにも気づくでしょう。
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