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Cafetalk Tutor's Column

Keisuke.H 講師のコラム

僕は大学7年生! 7年生

2022年6月29日

 
6年生の終わりの3月。
ついに教授から呼び出された。
怒られるのをわかっていて教授の部屋に行くのは嫌だった。
しかし、このまま卒業できないのはもっと嫌だった。
逃げ出したい思いをこらえノックしてドアを開けた。
 
「どうぞ。よく来たね」
教授は2年生の実験の担当で優しい人だった。
怒られなかった。来たことを褒めて喜んでくれた。
「これから毎日朝晩1回ずつ私のところに来なさい」
 
それから私は毎日教授の部屋に通った。
レポートの書き方、文献の調べ方、図書館の利用法。
教授は忙しい中毎日2回も時間を割きアドバイスをくれた。
計画性がない私に予定表の作り方を教えてくれた。
年目標:「来年で卒業する」
月目標:「3月中に1年の実験レポートを全て提出する」
週目標:「今週はこのレポートを進める」
日目標:「今日はレポートの考察を書く」
 
また、全てのレポート進捗を表に書き出し、
書きやすい箇所から先に埋めていくという方法も教えてもらった。
今まで何年も苦労していた1年生の実験レポートを1ヶ月で全て提出できた。
 
7年前期。
 
3年生の学生実験と単位数上限の講義を履修。
内容は当然難しくなるハードモードだが、
毎日2回の進捗チェックとアドバイスのお陰で
レポートに埋もれることはなかった。
前期の途中までで2年生の実験レポートも全て提出できた。
 
サークルや残念会にはあまり顔を出さなくなった。
単純に忙しかったからだ。
土日も大学の図書館でレポート作成。
夏休みはなかったような気がする。
 
7年後期。
 
大学は卒業研究が選択で単位数が足りていれば卒業できるシステムだった。
取得単位から逆算し、他学部の講義も取った。
教授、学科長、学務係の窓口を往復して単位集めをした。
大学にも学部にも学科にもお荷物で早く卒業させたかったのかもしれない。
もうそんなことはどうでもよく私は卒業という目標に向けて全力で走った。
 
7年冬1月のテスト期間。
原因不明の急性胃腸炎で1週間大学を休んでしまった。
テストを欠席。
頭が真っ白になる。ヤバいどころではない。
回復次第教授に相談し、担当の教授に事情を話し追試を受け追加レポートを提出した。
ギリギリのギリのセーフ。
7年目の2月。やっと卒業が確定した。
教授に報告すると嬉しそうに言った。
「毎日よく来たね。頑張ったね」
 
卒業確定した後に実家に戻り両親と一人ずつ話した。
「今まで育ててくれてありがとう」
「大学に通わせてくれてありがとう」
母は笑っていた。
父は「何もしてないけど」と言った。
でも、金銭的・精神的サポートがなければ卒業はできなかった。
特に父は高卒であり大卒に劣等感があったため、
「大学は絶対卒業しろ」
と強く背中を押してくれていたのだ。
 
大学生活を終えて一人帰省の新幹線で音楽を聞いた。
窓の外は残念ながら曇り空。
窓側に座った私に大学での回想が溢れてきて泣いた。
 
大学7年間で辛いことがたくさんあった。
でも、それ以上に得るものがあった。
いろんな経験をした。
いろんな人に出会い、支えてもらった。
 
今になって大学7年間を振り返って思う。
「そうだ、今度は私が支える番かもしれない」

僕は大学7年生! 完に進む。

本コラムは、講師個人の立場で掲載されたものです。
コラムに記載されている意見は、講師個人のものであり、カフェトークを代表する見解ではありません。

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