大学7年間が終わった後の卒業式やパーティーを楽しみにしていた。
同期は既に卒業してたけど、教授に会いたくて待ち遠しかった。
サークル仲間にも世話になったからお土産も準備しないと。
四角い帽子を着て卒業写真を撮るのかな。
そんなウキウキな気分で引越を終えて、市役所で転入届を書いているときに地震が来た。
そう、2011.3.11に起こった東日本大震災だ。
新幹線が不通になり大学には行けなくなった。
自粛ムードになり、卒業式もパーティーも中止。
もちろん余震があったり避難したりでそれどころではなかった。
でも、学位記と図書カードの他に卒業を実感できるものが欲しかった。
2年後、私は塾講師になった。
凱旋ではないけど教授やサークル仲間に会いに行った。
みんなを見ていると鮮明に当時を思い出すことができた。
しかし、心のどこかで気になっていたことがあったのだろう。
卒業して何年経っても悪夢を見続けるのだ。
「単位が足りない!このままじゃ卒業できない!」
私は夢の中で焦る。慌てる。うなされる。
目を覚ますと部屋の天井が見える。
「ここはどこだ?」
白い天井から周りを見回すと自分の部屋。
そうだ、大学は卒業したんだ。今は塾講師なんだ。
いつになったら悪夢から解放されるのだろうか。
それとも、ずっと見続けなければいけないのか。
塾講師を辞めてもうなされ続けた。
でも、いつか夢は覚める。
解放されたのは2020年3月。卒業から9年後のことだった。
その半年前から大学の研究室で実験補助として働いていた。
周りは大学生で担当の教授がいて、やっていることはほぼほぼ卒業研究だった。
5Gの伝送材料の研究をして世界の役に立つ気がした。
予算がつかなかったらしく、契約通り半年間で仕事を離れることになった。
2020年はコロナが流行り始めてきた頃で周りの彼らの卒業式も中止になった。
最後に、研究室の全体の追いコンがあった。教授も参加の飲み会だ。
送り出される大学生はみんなの前で思い出を発表していた。
そうか、私はこういう景色に憧れていたんだな。
一人で納得していると、私にも何か言うように教授から頼まれた。
「え?私も?」
突然過ぎて何も考えていなくて焦った。
真っ白な頭の中に自然と内容が浮かんできた。
私は留年したこと、卒業式がなかったこと、
ちょうど自粛でみんなのように卒業式がなかったことを話した。
実験仲間と教授に感謝して、最後にこう付け加えた。
「これでやっと大学を卒業できます」
たどたどしい日本語だったと思うが、みんなから拍手された。
「卒業おめでとう!」
教授も笑顔だった。
それ以降、大学の夢を見ることはなくなった。
大学生活にようやく終止符が打てたのだ。
大学生活にようやく終止符が打てたのだ。
自分の中のモヤモヤは完璧になくなった。
いつか見た快晴の青空のように。
長い長い浦島君の物語はこれで終わるのである。
「浦島君、卒業おめでとう」
職員証を返却した後、誰に向かってでもなく小さく呟いた。
職員証を返却した後、誰に向かってでもなく小さく呟いた。
コメント (0)