99年韓国留学記③ピッピと携帯電話とPC通信

Yuka-t

私の留学した99年は97年暮れのIMF金融危機の少し後のこと。
当時の連絡手段はピッピと呼ばれるポケベルが主流でした。
数字で「8282」は빨리빨리(パリパリ=早く早く)とか、やってました。
日本でも暗号めいたポケベル用語がありましたよね(あったんですよ、若いみなさーん)。
韓国も同じでした。ああ、懐かしい。
私が韓国に留学してすぐ、急速に携帯電話が普及し始め、韓国の学生もピッピから
一気に携帯電話へ変わりました。当時、外国人が携帯を契約するには韓国人の保証人が
必要だったこともあり、私は携帯電話を持たずに1年間過ごしました
(留学前も実はまだ携帯を持っていなかった)。
その他、PC通信というチャットがあって、「PC방(バン)※バンは部屋の意味」という
ネットカフェのようなところで、奥行の長ーい四角形のパソコンの前に座ってチャットをする姿を
よく見かけました。IMFで沈んだ経済を立て直そうとITへ舵を切り替えた韓国の
その後の発展はご存知の通りです。当時、日本の大学ではまだ履修届を紙で提出していたのですが
韓国の大学は構内の随所に設置されたパソコンから申請していましたし、
今やっと普及したマイナンバーカードも、韓国は住民登録番号制度が既に導入済でみんな
住民登録証を携帯していました。あのころは私も含めて日本人は”番号で管理される”ことへの抵抗が強かったけれど、結局便利なので日本でも導入されましたね。

通信と言えば、もう一つ、固定電話のお話を。
このころ大田の町の”커피숍(「コーヒーショップ」今でいうカフェのこと)”には
各テーブルになぜが電話がありました。市内通話が無料で、その電話からは市内へ電話がかけ放題。
そして電話にはそれぞれ番号がついていて、
その番号は店内の電話にかけられる内線番号になっていました。
気に入った人のいるテーブルに電話をかけてナンパ、、
いえいえ、お話できるという、面白いシステムでした。
携帯電話の普及とともにその電話も徐々に姿を消しましたけど・・・
大田だけだったのかソウルにもあったのかは分かりませんが、面白い文化でした。

99年韓国。커피숍 と PC방。
当時のコーヒーはヘーゼルナッツのフレイバーコーヒーが主流だった。


本コラムは、講師個人の立場で掲載されたものです。
コラムに記載されている意見は、講師個人のものであり、カフェトークを代表する見解ではありません。

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