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Cafetalk Tutor's Column

Nqtsumi.A 講師のコラム

一線を越える

2024年3月21日

こんにちは。
フランス語講師のなつみです。

「一線を越える」という言葉が使われる背景には、様々な状況がありますね。
犯罪を犯すことに対して、一線を越える
不貞をすることに対して、一線を越える

コトバンクによると「守るべきことを破る。してはならないことをする」という定義みたいですが、どうも浮気や不倫の文脈で使われることが多い気がします。

2023年1月、ある新書が発売されました
タイトルは『不倫―実証分析が示す全貌』です。

第一章はこんな風に始まります
「不倫疑惑をかけられた多くの政治家や芸能人らが「一線は超えていません」と釈明するのは、なぜだろうか」

「一線を越える」とは、フランス語で"franchir la limite" と訳されます。
フランスにもやはり「一線を越える」という概念が存在しているんですね。

「一線を越える」に関する話題は、日本では世俗なものと思われがちです。
しかし、本書によれば、アメリカやヨーロッパでは、データを用いて分析され、社会的・経済的なテーマとし研究されているようです。

また、文学の世界では、浮気・不倫は頻繁に登場する描写のひとつであり、論文で取り上げられることも多いため、立派な学術テーマだと言えます。

かくいう私の論文テーマも、" l'infidélité émotionnelle "、つまり心的な浮気(正確には不倫でしたが)が大きく関わるものでした。

フランスは偉大な文学作品で有名な国のひとつですし、
「愛の国」なんて言われるくらいですから、こういった話題が盛んに交わされているかもしれませんね。

このテーマ自体の善し悪しには触れないとして、
個人の気持ちの問題として片づけられがちな問題を、統計的な、文学的な、経済的な、社会的な、こういった学術的な目線で見ることでおもしろい発見があるかもしれません。



五十嵐彰、追田さやか『不倫ー実証実験が示す全貌』、中央公論新社、2023




本コラムは、講師個人の立場で掲載されたものです。
コラムに記載されている意見は、講師個人のものであり、カフェトークを代表する見解ではありません。

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