こんにちは、エンパワLabo 氣功師の有岐です。
この冬は、ガソリン代や電気代の高騰を感じますよね。
生きる事に必要な費用が膨らんでくると、お財布の紐もかたくなりがち。
いらないものは始末しないと・・・
そんな思いもあるかと思います。
今の私たちが使っている「始末」、もともとは全く違う考えから生まれています。
日本語に隠された、大切な智慧。
今日も最後は「いかに生きていけばいいのか?」につながるお話です。
子供がいる方、部下がいる方には、こんな事をさりげなく話に中に盛り込むことで、より深い意味を伝えられる材料にもなると思います。
最後は私の心のメッセージです。
ゆっくり楽しみながら読んで下さいね。
「始末(しまつ)」もともとは「始め」と「終わり」の両方を含む概念だった
始末、この漢字をよく見ると「始=はじめ」と「末=すえ」が合わさった言葉です。
物事の始まりと終わりをきちんとつけることを意味していました。
現代の「始末」の意味の変化
時代が進むにつれて、次のような意味が加わりました。
現代の私たちは、以下を始末が持つ言葉の意味だと思っていますよね。
- 処理すること(例:「後始末をする」)
- 節約・倹約すること(例:「始末して暮らす」)
しかしながら言葉の成り立ちは、日本が古くから持っていた考え方、つまり
「物事の一連の流れを管理し、きちんと完結させること」
を指していました。
⬆️⬆️⬆️
♡自分の人生に対する考え方も同じ。日本人が大切にしてきた根底にある精神です♡
「始めと終わり」の大切さ
日本の文化では、「始め」と「終わり」を大切にする考えが根付いています。
例えば、茶道では「始めの所作と終わりの所作」が重要とされますし、武士道でも「事の始末をつける(最後まで責任を持つ)」ことが重んじられました。
お茶を一服頂くにも、剣を合わすにも
「礼で始まり、礼で終わる」
短い一つ一つの連動する動作の中に、初めと終わりを意識します。
そしてそこには「所作」が存在します。
単に頭を下げるのではなく、目線や意識をどこに置くか、所作には「相手に敬いの心を寄り添う気持ち」があるんです。
そういえば、学校の授業も初めと終わりに礼をしますよね。
海外の授業ではそういった事ないです。
つまり、「始末」という言葉は、単なる処理ではなく、「物事を最後まできちんと見届ける姿勢」を表す深~い言葉なんですね。
江戸時代、着物は最後は土の肥料になった!
江戸時代は物資を無駄にしない「循環型社会」が発達していました。
着なくなった着物も完全にリサイクルされていたのです。
だから布が傷んでいく過程に応じて、形を変えながら最後まで活用されたのです。
① のれん・風呂敷・布団の布(まだ使える段階)
まだ布の強度がある段階では、次のような用途に再利用されました。
- のれん(暖簾)
- 風呂敷、布が厚い場合は座布団のカバーにも。
- 布団の側生地:着物を解いて縫い合わせ、布団の表地にしました。寒冷地では防寒具にもなりました。みなさんは「どてら」を知っていますか?
着物の反物の幅は36~40cm(1尺)に決まっているのをご存じですか?
- 着物の反物の幅:一般的に約36~40cm「1尺(約30.3cm)+少し」のサイズ。
- のれんの標準的な幅:反物の幅を2枚分(約72~80cm)つなげたサイズ。
- 日本家屋の玄関や間仕切りの幅は、1間(約180cm)が基準になることが多く、中央に柱がある場合は半間(約90cm)のスペースにのれんをかけることが一般的でした。
- 反物2枚分の幅(72~80cm)は、ちょうど半間のスペースに収まりやすいサイズだったんですね。
これは、日本建築は「尺貫法(しゃっかんほう)」が基本で、畳・障子・襖・柱の間隔も「尺」を基準に設計されているからなんです。
障子や襖の桟(さん)間隔も、反物の幅(約36~38cm)に合わせて作られることが多かったのです。
人の体を元にした寸法感覚、これは「無駄なく使う」という思想が根底にあるからだと思います。
ベルサイユ宮殿のような権力を誇示する建物ではなく、日本人は「身の丈」の中で濃く豊かに賢く生きる事が幸せだとわかっていたのだと思います。
そして、さらに・・・さらに続く着物の旅
② つぎあて・刺し子・端切れ細工(部分的に傷んだ場合)
布が部分的に傷んできたら、補強して使い続ける工夫がなされました。
- つぎあて:傷んだ部分を別の布で補修し、長く着続ける(代表例:野良着)。
- 刺し子:布を重ねて細かく縫い、補強と防寒を兼ねた。漁師や農民の作業着に多かった。
- 端切れ細工:小さな布は、子どものおもちゃや、茶巾(茶器を拭く布)、小袋に加工。
私の母は、自分が小さかった頃は人形など売ってなくて、布で作ったものを人形に見立てて遊んでいたと言っていました。
そしてそして・・・・
③ 雑巾・布巾・包帯(さらに布が薄くなった段階)
布がすり減ってきたら、掃除で活用されました。
- 雑巾・布巾:家の掃除や食器拭きに使用。布巾は料理に。
- 包帯・脱脂綿の代用品:傷を負った際の包帯として利用。
さらに!もう布ではない姿に変身していきます!
④ 書道の紙・墨染めの材料(最後の活用法)
ほとんど使えなくなった布は、紙や染料として再生されました。
- 書道の紙(抄紙):和紙を作る過程で、布を細かく砕いて紙の原料に!
練習用で墨汁をたっぷり吸った紙は・・・
↓↓↓
⑤ 最後は肥料に!
最終的に布を燃やした灰は、畑の肥料(アルカリ分を含むため)としても活用されました。
江戸時代の着物は、「着る → 直す → 掃除に使う → 書道の紙や染料 → 肥料」へと変化し、最後の最後まで無駄なく使い切られました。
さあ、だんだんと「始末する」の言葉が単に「処理する・倹約する」をいう考え方から変化してきませんか?
「物事の一連の流れを管理し、きちんと完結させること」
「始末」という言葉は、単なる処理ではなく、「物事を最後まできちんと見届ける姿勢」なのです。
こんなにできるのに「もったいないね」と言われた事ありませんか?
勿体ない、この言葉は「物の本来あるべき姿が失われている」という考え方です。
つまり、能力の発揮不足。自分の人生を最後まで使い切っていない事。
「いかに生きるのか?」— 命を使い切るということ
私たちはどれほど、自分の命を「もったいない」と思ったことがあるだろうか。日々、流されるままに生き、やりたいことを後回しにし、心の奥で「このままでいいのか」と問いかけながら、踏み出せずにいる。
気づけば時間は過ぎ、人生はまるで使いかけの筆のように、描きかけのまま終わってしまうかもしれない。
それでいいのか?
「勿体ない」とは、能力、本来の自分の価値が発揮されないこと。
そうなら、自分の命を持て余し、夢や情熱を燃やしきれないことほど、勿体ないことはない。
命は与えられた瞬間から、刻一刻と削られていく。ためらうことなく、自分の力を惜しみなく使い切ろう。
怖れはどこから来るのか?
他者の評価を気にして、他者の承認を得るために生きた結果、死ぬときに後悔しないか?
全力で愛し、全力で挑み、全力で苦しみ、全力で喜ぶ。
物を最後まで使い切るように、人の想いを大切にするように、自分の命もまた、最後の一滴まで注ぎ込むべきではないか?
燃え尽きるまで生きた者の人生に、「勿体ない」という言葉は存在しない。
本日も最後まで読んで頂き有難うございました。
3月の気功(呼吸法・瞑想)レッスン日程
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