こんにちは。人間形成の場、エンパワlaboの有岐です。
皆様いかがお過ごしでしょうか
今日のお話は…
社会がだんだんと目に見える形で混沌としてきた中で、
「自分がこれからどう生きていったらいいのか?」
そんな「分岐点」に立っていると感じられるあなたに向けて、私の視点で少し書いてみようと思いました。
今日も最後までゆっくり読んで頂けたら嬉しいです。

皆さんは、美空ひばりさんが発表した生涯最後の歌、 「川の流れのように」をご存じでしょうか。
「川の流れのように」—今、この歳になって聴くと、こころの底を動かすような歌詞だなあ…って感じるんです。
知らず知らず 歩いてきた
細く長い この道
振り返れば 遥か遠く
故郷が見える
でこぼこ道や
曲がりくねった道
地図さえない
それもまた人生
ああ 川の流れのように
ゆるやかに
いくつも 時代は過ぎて
ああ 川の流れのように
とめどなく
空が黄昏に染まるだけ
・・・
私たちは、この世に生まれて自分が「何者か」もわからなかった時、
自分がこの世界で立っていられる「軸」をつかもうと、何かを得ようとして、
目の前にある立場や人間関係に必死になって生きてきました。
何か「道しるべ」になるものを頼りに…
それが「本」だったり、誰かの「言葉」だったりしたかもしれません。
でも、細く長い砂利道を歩むような人生の道のりや、絶え間なく変化する日常を、一歩一歩、休むことなく進んで来たのは、やっぱり「自分の足」だったと思うんです。
時に回り道をしたり、雨やぬかるみにはまったりしても、 そこから出る解決策なんてなくて。
ただ、時間とともに身を任せるしかなかったりした時もあったんじゃないでしょうか。
今ってどんどん生きづらい時代になってきてると思いませんか?
現代の社会は、個人の能力とか業績、成果によって「評価される仕組み」になっています。
「何ができるか」「何を持っているか」
そんな外から見た価値「スペック」を自分に貼らなければ、
社会的な地位や生活の安定を得にくい。
そんな構造があります。
だから常に「足し算の生き方」を強いられてしまうように感じます。
「川の流れのように生きる」とは、
言い換えれば、川の流れに【身を任せる】という生き方です。
それは、未来のまだわからない結末を受け入れることなんです。
何が起こっても受け入れる。
わからないものを受け入れる。
—どうですか?
「う~ん」なかなか現実的にはそれは難しいなぁ・・・そんなところが正直な実感なんじゃないでしょうか。
なぜなら、今、社会は不安定で不確実性が高いからです。
以前はあったような「安心できる確実なもの」が、もはやもう社会にはないんですよね。
そんな中で生きていくには、私たちは自然と失敗や変化に対する「怖れ」を、より強くいだくようになってしまうんです。
だから、資格や財産などを「獲得」しようとするんですよね。
未来への不安を和らげて、自分の人生をなんとか守っていこう。確実に安心できるようにコントロールしたい…
そんないう欲求が出てきて当然なのかもしれません。
『未来のまだわからない結末を受け入れて、川の流れのように生きる』
これって、言葉として理解するのは簡単かもしれません。
でも、実際に人生で実践して、その流れを体現するまでには、ある程度時間がかかるんです。
私たちの人生は、この川に浮かんでいる一枚の葉です。
もし、あなたがその「1枚の葉」になることを芯から受け入れたら…
そこから予想もしなかった「違う世界」がスタートし始めるのです。
あなたは今、
「変化したい」「自分の軸を探している」
そう思っていませんか?
でも、同時に心のどこか「変化」にブレーキをかけています。
もし変化したら、「現状」がなくなってしまったら…
困ったことになるんじゃないか。
そんな「怖れ」を感じて、今はまだ川底に足を踏ん張って、
川の流れに逆らっているかもしれません。
でもよく考えてみたら、「自分の力の及ぶ範囲」ってすごく小さいんですよね。
川の流れを力ずくで変えられないように、
未来の出来事や他人の評価って、自分ではコントロールできないものなんです。
私は言う「流れていく葉」とは、
外側の「大きな声」に、あっちにフラフラ、こっちにフラフラすることではありません。
それは「足し算」です。
何か外側の力を求めることで、結局、自分が支配されることになってしまいます。
そうじゃなくて、「引き算」です。
「何ができるか」「何を持っているか」で評価する視点ではなくて、
引き算の生き方とは、「今、ただ自分はここにどう在るのか」「どう生きているのか」
それを感じる視点です。
具体的に言うとすると、その葉とは「軸を持った葉」と言えるかと思うんです。
・・・
今の社会システムや価値観の中では、私達はいつもスピード感と競争が求められます。
そんな社会の中で生きていると、立ち止まることや流れに身をまかせることって、すごく怖い事なんですよね。
だって、それは「怠惰」や「敗北」とみなされてしまうからです。
さらに最近は人のつながりが希薄になって、人と戦ってばかりで、もし失敗したら『自己責任』だと言われてしまう。
そんな社会の中で生きていると、
いつも「社会的な居場所や経済的基盤を失うのではないか?」
そんな、生活に直結する恐怖が、常に頭の片隅に張り付いているんです。
いつも緊張してしまうんです。
そして、社会は個人に常に「成長」や「生産性」を求めますよね。
だから、私たちは無意識のうちに、「何もしない時間=脱落するリスク」のように感じてしまうんです。
休みもスケジュールを埋め、消費に走ってしまうんです。
もし、あなたが生まれてきた「役目」を感じながら、そして、自分が豊かに広がるように、導かれながら後半の人生を生きてみたいと思うなら…
「軸」をつかんでいくんです。
それは初めは、「自分を観察すること」から始まります。
今まで沢山の「あれやこれや」が、今あなたのクローゼットに押し込まれています。
「あ、あんな服もあった」
「こんないらない靴下もあった」
「あぁ、こんな高いと思っても着もしない、体に合わない服もあったわ…」
それらは「エゴ」。
言葉を選ばずに言うと、カルマです。
その「解消」をしていくわけです。
その「解消」の山を登るには、少し時間がかかります。
山の途中で、ああだこうだと服を仕分けしていくうちに、
分析をする癖がついて、逆に「ジャッジの鬼」になってしまうかもしれません。
でも、それでもいいのです。
それが、そこまで来た段階だという証拠だからです。
でもその作業には、たった一つ大切なポイントがあるんです。
それは―『自分で』脱いでいく―ということです。
でこぼこ道や 曲がりくねった道 、地図さえない。
そんな道の中にある人生を変える「鍵」は、
それを歩いた「自分」にしか見つけられないのです。
・・・
「自分の本当にやりたいことが何かわからない」
「人生の岐路が見えているが、この場所からどう進めばいいか戸惑いがある」
そう感じている方は多いんじゃないかと思うんです。
もし、そう感じているなら、私が言える答えは1つです。
それは、『自分を観察すること』です。
本当の自分 。
先程お話したように、未来の出来事や他人の評価は、自分が何とかできるもんじゃないですよね。
なのに、私たちは、
「こうなって欲しい」という【期待】がどんな事に対しても持っています。
そして、物事って、自分の思う通りになんて進むはずがないんです。
なのに、「そうならない」って心が【不足感】を感じてしまうんです。
そんな感情が、自分の中でフツフツと湧き上がってくるもんなんです。
朝起きたら、雨が降っていたとしましょう。
出勤するのに「晴れ」を望んでいた心は、そんな日常の些細なことでも
『期待』していたことが『そうなってないじゃないか!』って感じてしまうんです。
そしてこころに『不足感』が生まれるんです。
私達人間は、
【期待】と【不足感】の間で、常に揺れ動いてしまう生き物なんです。

じゃあ「自分は一体何を『期待』して、何を『制御』しようとしていたのか?」
そんなことを探ってみるんです。
自分の手が届く範囲の外側を、
「なんとかコントロールして、未来を自分の期待通りに制御したい!」
そう思って、でも、いつもそうならない。
そして、こころは「焦って」しまう。
その焦りの根底には何があると思いますか?
—「怖れ」です。
あなたの真ん中にある「こころ」が持っている『怖れ』って、どんなものがあるのだろうか…?
それが内観です。
自分に「問い」を立てるんです。
初めは難しいかもしれません。
自分に『問い』を立てるには、自分という主観から抜ける必要があるからです。
でも繰り返すうちに、内側から「見えない変化」が確実に起こってきます。
例えば、こんな感じだと言えるかもしれません。
あなたの「脳」という、古いPCに無意識にインストールした、膨大なデータを整理してアプリを消去していくんです。
すると、脳の反応パターンが変わります。
今まで、あなたの中で大きく反応していた、特定のパターンがあるはずです。
それは、「孤独」や「見捨てられる恐怖」や「侮辱に繋がる恥」。他にも「不平等さ」や「不正」など…本当に様々あります。
私たちは自分が生きていくために「基準」が必要なんです。
だから、物事という「瓶」に人生でラベルを貼ってきたんです。
「これは、正しい」
「これは、価値がある」
「これは低い」
そんな風に「マイルール」を自分の外側の環境と照らし合わせて、長年気がつかないうちに貼りまくっていたんですね。
でも、そのラベルって、今はもう自分の「荷物」になっている・・・それに気づいていくんです。自分で確認しながら。
そうして、実生活の上で棚卸を実践していくうちに、だんだんと自分の心の反応が変化するのを実感していきます。
なぜって?それは、
—感情がすぐに反応しなくなるからです。
自分が「こうなって欲しい」という、制御しようとする心の力、つまり「執着」が少しずつ消滅していくんです。
これを「自己統合と手放し」と言ったりします。
すると同時に、こんな感覚が生まれてきます。
—「起こる現象をただ受け入れることができる。
今までのようにすぐに感情が反応しない。
こころの余白を感じる。」
それは、あなたのこころの中に「余白のポケット」が出来てきたからです。
執着がなくなった心は、スペースが大きくなって、気がつくと…
「委ねる(ゆだねる)」感覚が内側にできてくるからなんです。
それは、頭で理解することでは変化できない…
そんな「養っていく感覚」と言っていいかもしれません。
『未来のまだわからない結末を受け入れること』と、初めに話しましたが、
その頃になると「結末を決めつけないやわらかさ」が心の余白部分に生まれています。
川の流れに浮かぶ一枚の葉は、
「こうなって欲しい!」「これでないといけない!」
そんな期待や不足感を丸ごと抱き込んで、『起こる現象をただ受け入れる軸』を持っています。
そして自分を観ながら、周りの景色の移り変わりや変化を静かに観察しています。
すると…こんなことが起こり始めるんです。
焦りがなくなって、内側が静かに柔らかくなり…
川の流れが自分と一体になることで、「微細な」移り変わりが「勝手に観えてくる」ようになります。
そんな『感覚』といえばいいでしょうか。
それは、「直感」や「ひらめき」と言えるかもしれません。
「こうなろう」と今、手の中にないものを取りにいこうと狙って焦る。
そんな心の状態が変化して思考でコントロールするのをやめた時。
その場所に入った時にに初めて…
意図せずに行動したことが、
結果として2手も3手も先に繋がっていたことに気づいたりするのです。
これが、「流れに乗って人生をスイスイとゆだねて生きる」という感覚です。
両手で物をつかんでいると、それ以上は持つことができないですよね。
手放すと、あいた手に必ず「何か」が入ってきます。
そうなると、不思議なことに「運と縁」が自然と繋がってくるんです。
「あぁ、これと出会うには今のタイミングじゃないといけなかったんやなぁ・・・」
最近は、そんなことを実感したりします。
なんだか、自分の準備が整った時に、準備されていたことが「よしよし。次はこれやで~」と現れて、自然に流れているような気がします。
今回の話はいかがだったでしょうか。
次回はこの続き。「人生の2割の法則」について書いてみようと思います。
次回もお楽しみに♪
本日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
氣功師の有岐でした。
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