レッスンする側としてのお話(⌒-⌒; )。
まじめな同業者と話していると、こういう話がよく出ます。
「自分が苦労したところほど・・・いくらでも話すことができるよね!」
逆に言えば、さほど苦労せず、それなりにものになった知識や技術に関しては「なんでうまく伝わらないんだろう・・・」と困惑するところがあると思います。
悲しいかな、そうです。
ない、といったら嘘つきでしょう。
ここがある意味、教える立場の試練でもあると思っています。
でも、自分がなんとなくできるようになったことでも、精度を突き詰めていくと教わる側の困難、壁、悩みがわかるのかもしれないと最近は思います。
自分が教わってきた中でも、そうだったと思います。
もちろん、詳しく、いろんな方向から噛み砕いてもらえないことも多々ありました。
そういうときに役立つのは結局普段のお勉強の脳であり、ニュースを理解する脳であり・・・「どうやったら最短距離で、最低限の労力でできるんですか?」スタンスではなくて、「自分はなぜ再現できないんだろう、どこか問題なんだろう?」と考えるスタンスが大切です。経験談として。
がむしゃらにやってみることも大切です。
案外、疲れ始めた頃に気づきます。
学生時代、自分もどうしても見せていただいたお手本のようにいかないときは、おおきい公園まで行って夜中に練習していました。(わざわざ書くのも恥ずかしい・・・けど、生徒さんがうまくできない時はそれくらいの熱量をこちらも持たせてあげないといけませんよね!)
五線紙でドレミが読めない・・・これは案外多い症状です。
進度が比較的ゆっくりな初期に、慣れていって、いつの間にか無意識にパッと見てわかるようになる、というのが理想です。
最初にがっちり楽譜だけ・・・もいいでしょうが、楽器を弾く楽しみ、モチベーションも考えると、数週間楽譜だけ・・・は厳しい気がします。
もし、これが学校の九九だったり、暗唱だったりしたら、なんとなくで済ませますか?
最近、教育の世界だと、興味を持たせる機会、ものの考え方や、意識、積極性が機械的な勉強より大切とされる風潮を感じますが、丸暗記というのもバカにできないと思います。
丸暗記の労力や時間は本当に無駄ですか?
「やるしかないんだ・・・」とある意味ポジティブに諦めること(苦笑)
それで済むなら、案外簡単だと思います。
ちなみに自分自身が「やるしかないのか・・・」とポジティブに諦めることを覚えたのは中学受験の夏でした笑。
最近も、何か困ると「やるしかないのか・・・」と音階を弾く日々です。
開高健さんもこう綴っていらっしゃいます・・・「無駄をおそれてはいけないし、無駄を軽蔑してはいけない。何が無駄で何が無駄でないかはわからないんだ」。