先日カウンセリングを受けてくださった方からこんな質問がありました。
「将来、日本でイタリア語を使う仕事をしたいんですが、
この先イタリア語の勉強を続けるにあたって、日本語で訳せるようにしながらの方が良いんでしょうか」
と。
私の答えは、否。
否です、否、否、否!
日本の英語教育では訳させられるので、こういう疑問が生まれたのだと思います。
「正しく訳せないのは正しく理解していない証」
だからだとか、なんだとか。
まあね、「訳す」という課題を課さないと、
教師が「この生徒は本当に分かっているのか」が図れないわけですよ。
テストの採点も大変になる。
だから訳させられる。
生徒のためではなく教師のための手法なのです。
でも、イタリア語を勉強する時、日本語に訳せる必要はありません。
イタリア語でイタリア語を理解できればいい。
イタリア語で考えてイタリア語を発することができればいい。
日本語を介在させる必要はありません。
というより、日本語を介在させずにイタリア語を発する必要がある、のです。
多少にかかわらずお金を頂戴して話した内容なので、
これ以上の話や理由はここに書くことはしませんが、それがベスト。
というか「ペラペラになる」には必須です。
いーや、そんなことはない!
私は日本語に訳すことで学べている。
とおっしゃる方も中にはいらっしゃるでしょう。
その方にはその方法があっているのだと思います。
その方には、その勉強方法が正解なのだと思います。
もちろん、文章の意味を知るには辞書が必要です(日本語介在)。
文法の解説は日本語で受けることが効率的(日本語介在)。
大人が外国語を学習する時、効率のために日本語の介在が必要だと考えています。
これはあくまでも「学習の過程における日本語介在」です。
でも、勉強していく上でイタリア語の文章を完全にちゃんとした日本語の文章にに訳せる必要はないんです。
本気でペラペラになりたいなら、その工程(イタリア語の文章をきちんとした日本語の文章に口頭であろうが書くのであろうが訳す)は重要ではないんですよ。
やっても構いませんよ、どうしてもやりたいなら、やっても構わないです。
ただ
上達スピードが遅くならないかな??
いつまでたっても、ペラペラにはならいんじゃないかな??
なという懸念を抱かずにいられません。
専門家ほど脳の仕組みに詳しくないのでわからないけど、
私の知っている脳の仕組みを考えると、そんな風に思います。
ただ「必要ありませんよ」というお話でした。
p.s.
逆はいくらやってもOK!
というか、日常的にじゃんじゃんやってみましょう♫
正確に言うと「訳」すのではなく、
「こういう場面でイタリア語でなんて言うかな?」と考えて適切な文章を口にしてみるのがお勧めです。
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