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Cafetalk Tutor's Column

Jun sensei 講師的專欄

死にたいと思うこと。

2022年7月1日

私が最初にカウンセリングに行ったとき、

「死にたい」という気持ちが大きくなりすぎて、どうしようもありませんでした。


でも、カウンセリングに行って「死にたい」とは言えませんでした。

なぜかと言えば…

そんなこと言ったら「え、ヤバいの来たな」とか思われると思っていたから。

話も普通にできるし、明るそうだし、しっかりして仕事もこなせそうな私。


誰がどう見ても、「悩んでいる人」ではない私。

だからこそ、そんなことが言えなくなっていました。


だけど、毎日死ぬことしか考えられなくなっていました。







「死にたい」と思っても大丈夫です。

カウンセリングでは、「死にたい」と言っても大丈夫です。


わたしも死にたいって思ってたし、誰にも言えなかった。

人は死のうと思えば、ひとりで一瞬で死ねます。

それを分かっているけど、怖くてできない。

何度も、そこを行き来したので、よくわかります。




怖い…

今思えば、私の本能は私を守っていました。

温かい命の炎のようなものが、「死なないでね」って。



そして、いつしか、カウンセリングで死にたいと言うようになりました。

人に言うという時点で、それは「助けて」という意味に変わります。

「死にたい」わけではないんです。


じゃぁ、なんでそう思うんだろう…って一緒に考えて、

ゆっくりと自分の思いを、自分で理解していけたら、いいと思います。


「死にたい」という思いには、

「このままはいやだ」

「このままの人生なら生きる意味ない」

「自分らしい人生なら生きたい」

みたいな思いが感じられて、ある意味、とても切なくて熱い思いなのかもしれません。

專欄文章僅代表作者個人觀點,不代表咖啡滔客的立場。

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