どうせ自分なんて!! 自分は愛されるはずがない!! ~こころに潜む裁判官~

Yuki.Kyoto

こんにちは、エンパワー

今日も自分の中に小さな明かりを灯していますか?

氣功師の有岐です。

 

 

いかがお過ごしですか?

今日はどんな1日でしたか?

 

有名な絵画、レオナルドダヴィンチの「モナリザ」、不思議な笑みで有名ですよね。

ダヴィンチが生涯誰にも売らずに、書き直し書き直し、最後まで手元に置いていた絵です。

この絵は「なぜか怖い」と言われていて、それが人を魅了するんですよね。

 

この絵は、色々な一瞬の表情がすべてが「微笑み」の中に入っていると言われています。目線や唇に、言ってしまえばちぐはぐな心の現れ、悲しみ、やさしさ、冷淡さなどが同時に表されているので、その絵は「見た人の心をそのまま映す」と言われます。

 

もしかして、生涯モナリザを書き続けたダヴィンチは、【心の中の感情や思考がそのまま自分で目の前の現実を創造している】「自分が見ている世界は、自分が創造している」事を探求したのではないか、そんな事を思ったりするのです。

 

本日は一生懸命頑張っているのに、つい「なぜ自分は・・・」と心の深い所でつい自分を責めてしまうあなたへのお話です。

 

 

 

 

 

  心が不安定で落ち込んでしまうあなたへ

一度落ち込みモードになるとなかなか元に戻せない、

いつも自分を演じて疲れてしまう・・・そんな事はありませんか?

 

 

それはあなたの中に、自分や他人を責める「良い・悪い」をジャッジする「裁判官??」がいるからなんです。

 

自分を攻撃すると「自己否定」、相手を攻撃すると「被害者意識」、どちらにしても心は苦しくなってしまいます。

 

実はこの裁判官のジャッジ、自分では気が付いていない事が多いんです。

無意識で認識できていないからこそ、私たちは目の前の現実に飲み込まれ、どうしたらよいのかわからないなんて事が多いのです。

 

 

あなたの中の裁判官は暴走していませんか?

意識の奥底で自分が無意識に「自己否定」を下いたことに気づく事で、

「どうしたらよいか?」「いかに生きていけばよいか?」

そんな事を少しずつ理解する事が出来てきます。

今日からあなたの人生が少しずつ、でも確実に大きく変化していきます♪

 

 

 

陥っていませんか?自己否定のチェック

 

①人からの評価が気になる。他人軸で自分を演じる。

嫌われることに過度に敏感なんですね。

他者や社会の目を気にして、その評価に沿っていない自分はダメな人間だ、

と苦しくなっていませんか?

常に他者から1ミリでも非難されないように自分を演じ、無理していませんか?

そしてそんな「偽りの自分」が嫌いになっていませんか?

 

そんなに力ずくでいなくても、あなたのままで大丈夫。

 

 

 

②いつも「いい人」「いい子」「いい顔」で無理をしていませんか?

「嫌われたくない」これが自己否定の根本にあります。

幼少期の時期にこの゛偽りの自分”は染みつき、形成されます。

子供は1人では生きていけないので、尊敬したり、自分より権力があると認識している、親や先生から嫌われると「生きていけない」アラームが鳴ります。

 

人間は昔、「大勢から切り離されたり」「見捨てられる」と命の危険があったわけです。だから、人間本来が持っている「嫌われる=見捨てられる恐怖」は最も大きな影響があるのですね。

他者からほんの少しでも×(バツ)をつけられる事に過剰に敏感になっていませんか?

 

どんな人も「傷だらけ」です。本当はすごく強そうな人も、あなたと同じ傷を沢山もっています。

 

 

 

③他者の顔色を見る。

「こんな事を言ったら、相手は嫌な顔をするな」

「自分の意見を言うと、ものすごい衝撃が来て耐えられない」

いつもそう思っていませんか?

 

例えば他者からの些細な一言であったとしても、あなたにとってのダメージは大きくて、それに対しての妄想や恐怖を膨らましがちではないですか?

 

それは、いい顔をして周りから承認された「成功体験」があるから。

 

その「いい顔」の仮面をかぶって、もう苦しくて自分では抱えきれない所に来ていませんか?

本当は自分はちがうんだ!心ではいつもそう呟いていませんか?

 

学校や会社恋愛で、勉強や仕事で疲れているというよりも、

なんだかわからないけども、集団の場所にいると苦しくて、疲労感が半端ない。。と感じたりしませんか?

 

人と群れない「孤独」を選択して大丈夫です

人は群れるほど、その中で孤独を感じているものです。自分の中にある「自分という意識」と繋がっていないと、どこにいても、誰といても孤独を感じます。

 

 

④人に言いたいことが言えない、頼み事ができない。

自分の考えている事より他人の考えている事に合わせてしまいがちではないですか?

「皆の考えに合致していないとダメだ!」そう感じているのではないでしょうか?

 

人から嫌われないようにしようとする習慣、無意識で染みついていませんか?

人が怖いとどこかで感じていませんか?

 

いつも緊張して体は固くなって、呼吸も浅くなっていませんか?

あなたの行動、進む道、その速さややり方は、きっと自分の中で「今はこれが最善だ」と思ってしているはずですよね。

 

声を荒げる人は、自分の考えの正しさを人に押し付けようとしています。大きな声をだすのは、無意識に相手を支配しようと思っているからなんです。

 

人生は失敗だらけ。完璧にできる事なんて正直少ないですよ。

もし、故意にうまくいかずに失敗してしまった時は、「上手くいかなかった」という感情と、どうすれば対応できるのかという出来事を切り離しましょう。

 

 

 

⑤自分が本当は何をしたいのか?何を欲しいのかがわからない。

目線のベクトルがいつも「内側」でなく、「外側」になっていませんか。

 

人から「これをして欲しい」といった要求ばかりのんでしまって、「私はこうして欲しい」「私は本当はこう感じている」という事を、押し殺すことに慣れて「私」を認識することが難しくなっていませんか?

 

「どう生きたいのか?」「自分とはどういうものか?」

他者の事ばかりで一番最後に置いているのではないでしょうか?

 

「呼吸」が効果的ですよ。

 

 

 

 

⑥周りは自分のことが嫌いだと感じる。

それは、いつも他者からの視点「自分はどう思われているか?」という視点で自分を捉えているからです。

 

他者がいつも自分を判断する、その「主導権」を自ら相手に渡してしまうと、どうなると思いますか?

【自分以外の他者が怖い】その「恐怖」に、心がいつも不安定になって安心していられなくなるのです。。

 

「自分のありのままでいると、周りから受け入れてもらえない」

どんなあなたでも大丈夫なんです。

大丈夫、本当に大丈夫。

 

心の中の「自分は自分でいる事が許されない」という思い込みが、「相手はありのままの自分は嫌いに違いない」という思考パターンになっているんです。

だからこそ、常に周りが気になり嫌われないようにしようと、無意識で頑張って疲労してしまうのです。

 

他者に対して「怒り」や「憎しみ」を心の底で感じていませんか?

 

これは、いつも「いい子」「いい顔」を演じているからこそ、

そのままの自分を受け入れてくれないた他者を

「なんでわかってくれないの!!」

「本当の私を受け入れてくれないの~!!」

 

その悲しみが大きくなると、その感情は怒りと変化して、怒りは心の底に溜まってきて、固まってしまうんですね。

その黒い思いをまた自分自身で「こんな思いを持つ自分は嫌だ」と自己嫌悪を感じ続けています。

気づいたらいつも他人に振り回される人生を送っていませんか?

 



あなたは、「自分の思考」、【何をいつも考えているとか、どのような傾向があるのか】を客観的に捉えた事がありますか?

あなたは一番大切な「放っておいた自分」に気づいていますか?

 

 

 

氣功師有岐の「こころのカウンセリング」で話してみませんか?

エンパワlabo

 

 

 

 

⑦出来ない自分、失敗する自分を見られたくない。

これは「恥」のブロックとつながっています。

(*ブロックについては以下のブログを参照くださいね。)

苦しくて心が折れそうなあなたへ~メンタルブロックとは何か?から始めましょう~ | 氣功師 有岐の「本当の覚醒の法則」

 

「他人からどう見られるのか?」がやっぱり軸になるので、

 

プライドや自尊心が傷つけられたり、恥を感じる事に「生きていけない」と感じるぐらい敏感です。

 

無意識のうちに自分を守る「嘘」で塗り固めていた李しませんか?

つく必要のない事にも常に嘘をついてしまい、結果、周りから「信用」が得られないのです。

 

「自分は常に、いい顔の仮面をかぶり頑張っているのに、人から信用されない、はみだしている、孤独だ、誰も自分を信じてくれない」と負のループに陥りがちです。

 

 

そんなに「大きな自分」でいなくても、大丈夫なんですよ。張りぼての自分でいると、疲れるでしょう。全ての人に愛されようとしなくてもいいんです。そのままのあなたでいると、良い所も悪い所もある「あなた」だからこそ、きっと人は心を許すのです。

 

 

⑧いつも自分より優れた人と比較して劣等感を感じてしまう。

あなたにはこんな素晴らしい所があるよ!と褒められても、

「いやそんな事はない。私何であの人に比べると・・・」と思っていませんか?

 

「あなたの中の裁判官」が

「お前のこんなとこ、あんなとこがダメで足りないのじゃ~!」

と悪い所にばかりフォーカスしています。

 

 

「自分はどんなに頑張っても評価されない!」という時は、

裁判官が「お前はここも足りない!あそこも全然能力がない!」

その囁きに全身全霊で聞き入っているのです。

 

 

どんなに自分がすごい事をしても、いつも他人と比べて自己評価をするので、

他人より優れていないと!もっとすごい人がいる、もっとかっこいいい人がいる!

もっとお金持ちがいる!と延々に自分を受け入れる事が出来ないでいます。

 

 

相手の「期待」に100%沿う事なんて、そもそも不可能なんです。あなたにとって重要だと思う人に対して、「期待の沿いたい=自分を評価してくれる」の図式が強くなりがちです。

周りの全ての人の期待に、あなたがカメレオンのように色を変えていると、「あなた自身」の心は疲弊しきってしまいます。

「あ、自分はまた人に期待に応えようと無理をしている」と気づいて、違う反応を選択してみて下さい。

 

 

私という人格、存在は世界で1人。

私という個性は宇宙で1つの存在。

 

あなたのベスト、あなたの素晴らしい能力、

それは同じフィールドであったとしても、その表現・能力は

あなただけの「独特」の物、比較できない物なんだ!

という事実に気づいてください♪

 

       

 

 

  自己否定や劣等感はなぜできたのか?

「自己否定」ある赤ちゃんはいませんよね?

「生まれてこなければよかった。。他者は怖い(;´Д`)」

そんな赤ちゃん見たことないですよね。

 

 

そうなんです。

実は、こう言った概念は幼少期からの周りからの影響にあります。

前述したように、もともと私達は幼い頃は誰かの庇護がないと生きていけません。

また、親子や先生と生徒、上司と部下といった変える事の出来ない上下関係がある場合、人間は相手からの言葉を鵜呑みにし、自分の中心まで入り込んでしまいます。

 

メカニズムを知識として知る事で「なんだ、そうだったのか、自分自身の存在が悪でなく、生きる為に創って来たものなんだ!」と納得できるかと思います。

 

 

 

 支配的な親、過保護な親の影響

まず、知って頂きたいのは「子育て中の親も若く、未熟である」という事。

 

親自身もその親から「こうでなければいけない」「世間に迷惑をかけるな」

そんな社会の概念によって育てられてきました。

 

その結果、親の中に「善悪」「上下」「優劣」という他者と比べて自分を図る概念が沢山刷り込まれています。

 

物事に常に「黒か白」で判断(ジャッジ)して、

自分が社会で体験して成功しうまくいった事を「これが正しい事だ!」

とマイルールを完成させて、それに従って生きています。

だから他者にも「よかれ」と思って押し付けをしてしまうのですね。

 

 

「これが正しいからこうしろ!従わないならこの家に住まわせないぞ!」

と無言の圧力をかけます。

子供は「親に気にいられないと生きていけない」という感覚になります。

 

 

その強迫の中で出来上がるのが「他者に認められないと生きていけない」といった概念です。それが成長すると、親から他者に変化するだけです。

 

過保護も場合も同様です。

自分が苦い経験をしたからこそ、子供にはそういう思いをさせたくない!

そんな思いから、ついつい転ばないように道を作ってしまんです

それって、失敗を恐れているのはだれですか?

子供でなく、親なんですよね。親は知らずに子供の問題を親自身が背負ってしまっているのです。

「課題の分離」こんな大切な事、学校で習わないんですよね。

 

どんなになっても、受け入れる!

絶対的な信頼覚悟が子育てには必要なんです。

 

子供は、他者からその観念を押し付けられると「自分がしたい事を否定された」

「自分を全く信用していない」その思いが、【自分の存在を否定された】と思い込んでしまうんです。

 

 

 

 親からの言葉の罵倒や暴力

親からの言葉が子供の心の傷になる事があります。

それは「見捨てられるかもしれない」という怖れを抱かせるのです。

 

子供は生存の恐怖を抱きます。それを回避しようと常に親の目を気にするようにな

り、成長すると世間や社会に対して同じ感覚を持つようになります。

この「見捨ての傷」は親の無関心からも作られます。

 

 

核家族の家族が普通になり、両親共働きが普通になっていますよね。

時間や毎日のルーティンにおわれて、忙しく日々を送っているかもしれません。

私達は皆、家族のためにと思って生きています。

 

でも子供はそんな状況は理解できないのです。

ただいつも一人で、

「自分が親と関われていない、共感してもらっていない」

「自分の存在を認識されていない、視線の中に入っていない」

と感じてしまうのです。

 

子供が勝手に感じてしまう「無視」は、言葉や身体の暴力より辛い事なのです。それは、「自分の存在を否定される」つまり、生きる事を否定されたと感じるからなんです。

 

「自分は生まれてこなければよかったんだ」

「自分は邪魔者なんだ」という妄想に発展するのです。

 

 

自分は必要でない、「いない存在なのだ」という感覚を強く持つようになります。

 

本当は親は仕事で傍にいなくても、実はいつも子供の事を一番に愛し、心配しています。

でも「傍える」事の出来ない現実によって「見捨ての傷」はできてしまうのです。

 

 

ここまで読んで、そうだったのかと認識する事ができ、実際自分は「存在を否定されていなかったんだ!」と理解できれば、妄想から概念を作り上げていたのだという事に気づいて頂けるかもしれません。

 

 

 

 条件付けで愛された

自己否定に気づかずに、苦しい思いをしている方の中に多い原因です。

親はそこそこ普通で家庭環境も複雑でない。なのに、大人になって自分軸で生きる事が出来ずに、他人の視線や評価ばかり気になり、毎日生きるだけでも体が疲弊する。。。

体調もすぐれない。

 

自分は人生の中でそこそこ頑張って来たし、出来る事もある、能力もある、お金も困る状態ではない、自信もそこそこある。

なのにどうしてこんなに疲れやすくて、体調を崩しやすいのか…

 

 

これは、幼少期に「ありのままの自分」を受け入れてもらえず、「いい子の自分」であれば、条件付きで愛されたという場合です。

 

 

「あるのままの自分」でなく、「これが出来る自分」だからこそ相手が自分を望んだ。

相手が望む条件に合った場合だけ受け入れてもらえたという思いが強くないでしょうか?

 

どうですか?

常に自分は相手の期待の条件の沿った「いい子」を演じ続けなければならない。

すごくつらいですよね。

 

勉強が出来て、いう事を聞いて逆らわずに、波風立てずに「いい子」の状態を続けていくしかない。

そうすると、「いい子」以外の自分の演じ方がわからなくなる。

ありのままの自分が誰なのかもうわからなくなってしまう。

 

本来の自分を「無かったこと」にしてしまっているのです。

 

そして、本当はどう生きたいのか?本当は何をしたいのか?それすらわからなくなってしまうのです。

 

「こうでなければ、自分は生きていけない」という条件なしの自分でも大丈夫なんですよ。

 

役割りの名札がなくても、あなたはそのままでも本当は大丈夫ですよ。

相手の過剰な期待に応えて生きてきた。。。もう大丈夫。

長年の仮面を外すのは怖いですよね。

 

 

少しずつで大丈夫。

まずは自分が嫌な事を「NO」と言ってみてください。

小さい何気ない事からでいいのです。少しずつ、「あ、出来た。。。」

そう感じてくるはずです♪

 

 

 

 自己犠牲

「自分だけが幸せになってはいけない」、そう思っていませんか?

これは、自分のことより家族の心理的な面倒を見てきた方に多くみられます。

自分がしたい事は脇に置いておいて、家族の事を最優先して考えなければいけないと、犠牲的に生きていませんか?

 

自分の中に「こんな事をしたい」という思いはあっても、

自分が自由にそんな事をすると、周りが困ったことになってしまうと思っていたりしませんか?

 

私自身がこの自己犠牲がありました。

そう思って生きてきた私に娘から「いつも忙しくてイライラしてるママより、好きな事をして笑っているママの方がいい。」と言われてはっとしました。

自分が犠牲になって「こんなに私が頑張っているのに」「家族のために!」と良かれと思ってしていた事が周りを苦しめていたことに気づかなかったのです。

 

実は、娘にはそんな私の犠牲は必要でなくて、自分のそばで笑っていてくれる存在が一番必要だったのです。

その渦の中にいた時は、こんな簡単な事も見えずににいたのです。

 

 

 

 いじめられた経験

いじめは誰でも体験があるのではないでしょうか?

自己卑下「自分には価値がない」という自分に対する自信や信頼を感じられなくなってしまいます。

 

他者からそう扱われるには「自分が悪い所があるからだ」、ついそう思う癖がついてしまうのです。

なぜなら、「どうせ自分が悪い事が原因なんだ」と思う方が楽だからです。

自分の内面に向きあう覚悟がどうしてもできないのです。

向き合うと、自分が臆病なのが自覚してしまうからなんです。

 

 

誰でも皆、臆病です

あなたから見たら親や上司、立場のある人、自信満々の他者を見ると、まるで「怖れ」がないように見えるかもしれません。

 

でも違うんです。

怖れのない人は存在しません。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

感想や質問はいつも楽しく読んでいます。

ではまた次回。

氣功師の有岐でした。

 

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이 칼럼은 강사가 게시한 글로서 강사의 주관적인 의견이며 카페토크의 공식 입장이 아닙니다.

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