愛は内側から生まれる【期待の手放し・自己観察・自愛・感謝】

Yuki.Kyoto

こんにちは、エンパワー

今日も自分の中に小さな明かりを灯していますか?

氣功師の有岐です。

 

いかがお過ごしですか?

今日はどんな1日だったでしょうか?

 

もうすぐクリスマス。

 

本日は「愛は内側から生まれる【期待の手放し・自己観察・自愛・感謝】」についてのお話です。
 
 
こころに感じる不安は、この【期待の手放し・自己観察・自愛・感謝】でだんだんとなくなってきます。
 
 
どこかに感じている『空虚感』、それは満たされない、充分でない、孤独の感覚。・・・それらを埋める為に追い求めてきた成功や、恋愛、所有物、これらを手に入れた時の一時的な満足感は、砂漠に落とす水滴のような物で、どんなに追及しても満たされなかったのではないでしょうか?
 
 
人生はままならないものですよね。
だからこそ、誰かや何か、そういったものが幸せにしてくれると期待して生きています。
幸せが本当にある場所、それは、【自分自身の内側】。
それを見る事をすっかり忘れてしまって外側への依存に縛られていたら、その誰かや何かに依存する状況の奴隷になってしまいます。
 

誰かが自分の期待に応えてくれない時、私たちは怒りや悲しみといった否定的な感情に飲み込まれてしまいます。そして、その結果どうなるのか?
それは、自分の中にある「足りない」感覚を強く感じて苦しむのです。
 
 
ではここで1つ、質問しますね。
 
「あなたは自分の事が好きですか?」
 

少し目を閉じて、自分の胸のところに意識を持って行って、胸の奥深くにある自分に聞いてみてください。
どうですか?
 
 
 
では自分の事をどれくらい好きですか?
点数をつけてみて下さい。
100点満点だとして。点数をつけるとどうですか?
 
 
 

意外と辛い評価じゃないでしょうか?
実は私も初めてそう聞いた時は、自分の想像以上に低い点数をつけました。
 
意識で捉えられる「顕在意識」の自分は、こんな事も出来る、あんな能力もある、今まで頑張って色々克服して生きてきた・・・
そして目に見える所有物や履歴書に賭ける能力が「私」だと思い込んでいた訳です。
 
 
あなたがつけたその「マイナスポイント」は、一体何だと思いますか?
それがあなたの心の奥底で感じている、『空虚感』=「自分は充分ではない」と感じているところです。
自分の欠けている所、つまり、欠損していると感じる部分です。
 
人間は指先に少し傷があるだけでも、もうそこに注意がいってしまいますよね。
同じことで、私たちは自分が足りない所にばかり、いつも無意識に目がいくものなのです。
 
 
ではここで「なぜマイナスをつけたのか?」を考察してみましょう。
自分の心の奥深くに感じている、「空虚感」「自分は充分でない」、そう感じて心が苦しさを感じる感覚、それは何でしょうか?
自分の心の奥深くにゆっくりと聞いてみて下さい。
 

「私は人から見下される」
「恥をかくことは自分の評価を落とす事」
「孤独、自分は嫌われる」
「自分は恥ずかしい存在だ」
自分の柔らかなひだにある、繊細な心が浮かんできます。
 
自分の中から出てきた様々な思考と感情。
それが自己観察の第一歩です。
今つかんだそれが、苦しみの根源、以前私がお話した「炎の薪」であり、心理学では傷やブロックと言われるものです
 
 
「自分を愛するとは、自分を理解する事なんです。


ではもう一つ、質問します。


もし、あなたの目の前に有名人がいます。
ではあなたはその人を人生を入れかえる事が出来るとしたら、入れ替えたいですか?



答えは「NO」じゃないですか?
どんな人生でも、自分が今まで生きてきた人生を誰かと取り換える事はしたくないのではないでしょうか?

こころはあなたを応援したいといつも思っているんです。
 
 
                   
 
自分が自分をどう思っているのか?
自分を好きかどうか?
 
目を閉じて、頭の思考ではなく「心」で感じてみて下さい。
 
 
 
 
自分を知る事、これが本当に自分を愛するスタートなんです。
 
  
?自分は怒りがなぜ電気ポットのようにすぐ湧きおこるのか?
 
?その怒りや苦しみが生じるきっかけになる、トリガーの「言葉」は何か?
 
?他者からどのような評価を一番得たいと、過剰に期待しているのか?
 
?いつも心が落ち込んでしまうのは、外側に自分は一体何を期待しているからか?
 
 
 
自己観察を進めるうちに、同じ思考パターンで自動で感情が反応して、同じ行動や言動をしている事に気づいてきます。
すると、「自分は何に期待していたのか?」「どんな承認を得るために、自分を無くしてまで頑張っていたのか?」そんなことがわかってきます。
 
 
自分を愛するとは、自分を理解する事
 
 
「もっと愛されたい」「もっと認められたい」と外側の世界に愛を求めるあまり、自分自身への愛が後回しになっているのです。
 
 
実は自分の中の「空虚感」、つまり「自分は充分でないという感覚」こそが、自分の本質や豊かさを発見するための入り口だという事に気づいてくださいね。
 
 

生まれた時は「愛」そのもので、自分という存在に疑いはなかった。

でも、「お金をどれだけ所有するかで人を評価する資本主義」の中で生まれ、「生存本能」を遺伝子に持つ私たちは、生きる為にその競争原理に乗せられてしまうのでしょう。気づかないうちに。

人の「私という存在を認めてもらいたい」という欲求が、椅子取りゲームの人生を生きる事になってしまいます。


 

自分を理解するとは、今まで自分が正しいと価値を置いてきた自分の「観念」を根底からひっくり返すような感じがして、自分の全てを否定されるように聞こえるかもしれません。

 

 

こう考えて下さい。

誰かを愛した時、その人から同じ愛をもらえないからこそ、愛の共鳴を渇望しますよね。「無い」が存在するからこそ、「有る」が理解できるものです。陰陽は、黒が隣り合わせでないと、白がある事すらわからないんです。

 

 

本当の自分とは、沢山の防備服を山ほど着た後、今度はそれを一枚ずつ脱いでいく過程で徐々に体験として腑に落ちて理解できてくるような物ではないでしょうか?

 

脱ぐたびに意識が大きく広がって、すると底に沈んでいた固い物が意識に上がってくる。そんな感じで「細く長い人生」の中で楽しみながら分かってくるものです。

 

 

どんな事を「頭の声」はあなたに話かけていますか?

意識してみてください。すると自分を一番今まで傷つけてきたのは「自分だった」事に気が付くかもしれません。

 

脳は、それが自分にとっていい事も悪い事も関係なく「生存確率」が高いものを優先して定着させます。

新しい「未来の事」は、命にとって危険が多いので、いつもの感情と思考のパターンを自動で発動するのです。

だから私たちはその場その場で「考えている」と思っていますが、以前の思考パターンで自動で繰り返しているだけなんです。

 

 

ここでちょっと例を出して説明しますね。

例えば、「恥や劣等感」が傷にある人は、誰かに「間違っている」と一言言われるだけで、トリガーが外れて感情が一気に出てくるわけです。

でも、「ここが間違っているよ」という言葉は人によって受け取り方が違いますよね。


Aさんは「事前に教えてくれて助かった」

Bさんは「自分が賢い事をマウントしてくる人だ」

Cさんは「私は能力が低いからいつもダメなんだ」

 

そんな風に人によって受け取り方が違います。

・・・という事は、皆同じ反応がないという事は、言葉と感情には法則がないという事です。

つまり、「言葉に意味付けしているのは自分」。そして「どんな感情を出すのかは自分の責任」という事。

 

 

これは心のメカニズム。そして無意識の自動反応を意識するようになってくるとどうなると思いますか?

「自分の思考や感情が何によって反応しているのか?」、また、「同じ反応ではなく違う反応をしてみたらどうなるのか?」を日常で自分で実験が始まります。

それが、客観的に自分を観察するという事です。

 

 

つまりそれが、「自分を愛する=自分を理解する」日常の実践です。

 

 

それが深まる度に、不思議と他者への慈愛が自然と生まれてきます。

愛は内側から生まれる、湧き出るものなんです。

すると口から出る言葉、行動、そして発するエネルギー自体が変化して、目の前にある問題や苦しみ、その原因となる人までも変化してくるんです。

 

それに気づいた時、「あ、自分の見ている世界は、実は自分自身が創っている」とわかるんですね。

 

 

私は思うんです。

 

自己実現のワークや内観、それらすべては「自分を愛する」がベースにあると、なんでもうまくいく。

「自分は充分でない」という潜在意識があると、その95%以上の潜在意識の膨大なエネルギーが「十分でない」現実を作るんです。何とかしたいと頑張れば頑張るほど、期待とは反対の結果になってしまいます。

 

 

『愛』という目に見えないエネルギー、それはまず、自分の欠損、不完全な自分を理解していくと、三日月の自分が満月になるというのではなくて、そもそも本当は満月だったことが心の奥で「初めから知っていた」という感覚に近い思うんです。

 

最後に・・・

自分の欠損を理解していくと、その固い苦しみは自然となくなってくるのを知っていますか?

過去のトラウマや過去世の魂の癖、それらは、誰かに何かをしてもらってなくなるものではなくて、ただそれが「そうだったんだ」と自分が理解し受け止めるだけで、そのエネルギーの鎖が外れて小さく消滅していきます。

「湧きおこった感情」は【自分が作ったもの】。出来事が原因で感情が起こったのではありません。それを聞いた時、その反応をしたのは「自分」。
そして、自分がその反応を反芻して、その感情にエネルギーを注ぎ込んで、いつも同じ反応を繰り返して、「自分が自分を苦しめています」


その苦しい状況からでるには、方法は1つです。
それは、

意識して、自分の思考、感情、反応を観る事です。
判断しないで

意味づけせず、頭でああだこうだと理解しようとしないで。

始めからすぐにはできません。
だんだん「自分の反応」が冷静に観る事が出来てくると何が起きるのか?
出来事と反応に「間」が出来てきます。

すると心に少しずつ「安心」が出来てきます。
こころの「思い込みの思考」はそれ自体が小さくなっていって、出来事が起きても自分の反応が小さくなっていきます。


今までの人生で作り上げてきたそれは、何十年もかけて作られた物。
細く長い人生。
「自分を愛する事は、自分を理解する事。」
焦らずに、「今」何を感じているか?を感じて優しく「そうかそうか」とただ理解してください。
すると変化が起こってきます。

 

私、ふとこんな事を思いだしたのです。

悪魔?って、名前を教えませんよね。もし教えたら消えてしますから。

まさにそれだ!と思ったのです。良きものも邪悪なものも単なるエネルギーです。

実はエネルギーに良い悪いはないのです。

 

【思い込み】思考もエネルギーです。

自分で認識して妄想だとわかると、そのエネルギーは消えていくんです。

 

 

「自分で自分を理解する」それが「苦しみから脱却する真実」なのではないでしょうか。

 

???

本日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

ここで私の氣功レッスンのお話をさせて頂きます。

 

氣功の生徒さんには初め「なぜ氣功を習いたいと思ったのか?」といつも聞いています。

皆様色々な期待があります。そしてそういう私はと言うと、人が光って見えたり、手に感じる圧や視界に入る煙、これは何かと言う疑問から気がつけば「氣の世界」に入っていました。

 

そこで分かった事は、「氣を読む」という事です。

ヨーガでは『トンレン』と言います。

相手から氣を受け取り、自分から氣を渡して、お互いで循環を作るんです。

それにはこちらが支配しようとしたりすると共鳴できません。

氣を読むとは相手と「同一視感」になり、相手の感情や体の状況が一体になる事で、自分が相手と同じ状態になるのです。

レッスンでもその状況になった上で、練功波の氣を生徒さんに入れていきます。すると変性意識に入っていくんですね。

 

氣はオーラでありエネルギーです。

エネルギーは不思議なもので、双方で受け取りと渡す循環が出来た時、エネルギーはどんどん増幅して大きくなります。

受け取り側の扉があまり開いていない時は、そのエネルギーの増幅も少ないのです。

これは体感で分かるのですごく面白いです。

レッスンを重ねていくと、生徒さんの氣が変化してくるのがわかります。

 

また私が氣を修練するようになったのは「自分を理解する」事をどこかで渇望していたからです。自分がずっと「なぜ生きているんだろうか?」と疑問に思ってきた答えがココにあると感じたからです。

答えは全て自分の中にある事を知っていて、その方法を知りたかったのです。

そこから意識の変容や気づきは「道」の高速道路にはいると自然に始まる事がわかったんですね。

 

氣功は「心技体」と言うように心の扉を開いて、体感から変性意識や氣の感覚を会得していきますが、それと同時に「自分を理解する」事で心の苦しみから脱却していく、この両輪があってこそ「氣功」だというのが私の信念なんです。

 

レッスンの詳細はHPに掲載しています。

レッスンは1回90分。急がずにゆっくりと体得していきます。

 

基本的にzoomの遠隔レッスンですが、リアルで受講されたい方はその旨ご連絡下さいね。不定期ですが、年に数回、イベントを開催していますので氣をリアルで体感されたい方は、来年の開催案内をお待ちくださいね。

有岐の氣功レッスンお問合せ▶️

 

 

?「読まなくてもいい、聞きが流したい!」という声から・・

  YouTubeでブログの朗読を載せ始めました(^^♪

 

 

 

 

 

では、師匠も走る年末。

呼吸が浅くなっている事に気が付いたら、ゆっくり深い呼吸をしてみて下さいね。

今回も有難うございました。

氣功師の有岐でした。

 
 

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This column was published by the author in their personal capacity.
The opinions expressed in this column are the author's own and do not reflect the view of Cafetalk.

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