日本語・韓国語講師の Hayoung_Eiko です ^ ^
最近、返事を待つ時間について考えることがありました。
既読はつくのに返ってこない時間。
あるいは、
既読にもならないまま過ぎていく時間。
韓国語では、
既読スルーのことを「읽씹」と言います。
そして、
既読すらつかないままの状態を、
あえて「안 읽씹」と呼ぶこともあります。
どちらも返事がないという点では同じなのに、
受け取る側の感覚は、少しだけ違っていました。
ただ、返信を待っている側の気持ちは、
行き先を失ってしまうことがあります。
何も言わないまま、距離ができてしまうとき。
最初から突然消えてしまうというより、
少しずつ連絡が
「뜸해지다(間が空いていく・疎遠になる)」ように、
自然に遠ざかっていくこともあります。
返事のない時間に、
相手がどう思っていたのか、
はっきり分からないまま残ることがあります。
そして、その曖昧さだけが、
後になってから静かに残ることもあります。
そういうときに思い浮かぶのが、
韓国語にある、いくつかの言葉です。
連絡を絶ったまま関係が終わっていくことを表す
「잠수이별」。
直訳すると「潜水離別」のような言葉で、
水に潜るように、
何も言わずに姿を消していくような別れ方です。
連絡が少しずつ途切れていくとき、
韓国では、自然とこの言葉が使われることがあります。
そうして言葉が止まってしまうとき。
ただ距離を置きたいという気持ちだけでは、
説明しきれない何かがあるように思います。
その時間のあいだに、
자격지심(自分には価値がないのではという揺らぎ)や
죄책감(自分のせいかもしれないという気持ち)、
허전함(ぽっかりした空白)、
そして 상실감(失われた感覚)が
静かに積もっていくことがあります。
説明することと、「ごめん」と言うことは、
本来は別のもののはずなのに。
なぜかそこには、
どちらが悪いのかという
線引きが生まれてしまうことがあります。
だからこそ、
言葉の手前で立ち止まってしまうこともあるのかもしれません。
最近では、「謝らないこと」が
強さのように見える場面も増えてきました。
でも、本当は、
「ごめん」と言えることは、
関係を終わらせないための、
ひとつの選択なのだと思います。
うまく説明できなくても。
きれいに整えられなくても。
それでも、何かひとつ、言葉を置いていくこと。
駆け引きをしない関係。
無理をしなくても、自分のままでいられる状態。
消えることで保たれる距離ではなく、
言葉を置きながら続いていく距離。
そう思えたとき、
「言葉を置くこと」の意味が、
少しだけやわらかくなりました。
もし、あのとき、
たった一言でも、言葉を置いていたら、
その関係は、どんな形で残っていたのでしょうか。
人と人とのつながりは、
結局はタイミングなのかもしれません。
どちらが正しかったのか。
何が幸せだったのか。
その答えは、
きっと本人にしか分からないまま、
過ぎていくこともあるのだと思います。
人生の中で、
自分で答えを見つけていくしかないのだと思います。
そして今、
私はまだ、その途中にいるのだと思います。
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