人との別れが悲しい。

Jun sensei

人との「お別れ」が悲しくて、どうしようもない。

わたしのことです。

でも、仕方ないこともあるし、

これにしがみついていては、自分がダメになるようなことも

なんとなく、分かってる…  んだよね。



最近、よーく自分のこころを感じてみて、

思ったことがあります。


「寂しいな」と感じる理由のひとつに、

この人と一緒にいるときの『自分』にサヨナラするのが寂しい。

ということ。


その人との前でしか出せない自分がいたし、

その人としか笑い合えないことがあったし、

その人に感じる良さがある。

それを感じられなくなるのか…という寂しさ。



自分の中の一部、とのサヨナラのような感覚です。



そうかー。

そうなのかも。

じゃあ、それなら、そういう自分をどんな場面でも積極的に出していってみたらどうか…



その人の前でしか、できなかったこと…

って、それって他の人の前でもやってみたらいいじゃん。


引かれるかもしれないし、笑えないかもしれない、んだけど。

その人にはもう会えないのかもしれないけど、

その人と感じていたことは、自分で再び感じることができるかもしれなくない?と思った。



自分が他人に感じることは、

自分の中にそういう要素があるから、なので。


魅力を感じたなら、それは自分の中にそう魅力があるから。

(逆に嫌だと感じるのも、自分の中にそういう嫌な部分があるから)

(ちなみに、自分の中に無いものは、他人が持っていても自分には見えないと思います)


というわけで、別れて悲しかったり、寂しかったりする思いを、

喪失感で片づけるのではなく、

自分のどんな部分を失った感じがするのかな、と掘ってみてもいいかもしれません。

もしかしたら、捨ててきた自分を、その相手に投影していたのかもしれないな~と。
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