自身のことをわかってない人がわかったふりをして自分のことを見つめると必ず自分に都合の良い解釈をしてそれで済まそうとします。
ですのでやはりある程度まで行くにはその状態を見てくれるガイドが必要になります。
人間は都合が良いですから、なんでも都合の良いように受け取って解釈し、舞い上がっておしまいというのが大体のパターンです。
私の使命は地に足をつけて日々生活をしてもらうこと。
ふわふわきらきらはさせません。
地に足をつけ自分自身を見つめなければ気付きも学ぶこともできません。
また、寄り添いますが、ただ寄り添うのでは肩を組んでそうだよね、そうだよねと言って同じ穴のムジナでいるだけなので、そのようないっときの快楽にはいたしません。
私は、意味がわからない中から自分の納得をつかんできたので、とても細かい事まで自分の中で吟味してやってきました。
ですので、人生のつまずきや戸惑いはよくわかります。
自分を学ぶと決めた方には全力で奉仕していきます。
最終的には独り立ちしてもらうのが目標です。
自分の足で立つ、自分の感覚で生きる、そこまでいけるよう導きます。
その方が納得するところまで引っ張りあげます。
それには他力本願の何かしてもらおうではなく、自主性が大事になってきます。
向き合おうとする姿勢なくして成長はありません。
俯瞰で見ればそれは実に大した事のない姿勢です。
それを難しくしているのは自分の思考です。
経験的思考は邪魔をし人は惑わされます。
下手くそでも落ち込んでも、ただ繰り返し向き合った人は、いつしか平安の大地に辿りつくのです。
私はそれはどなたでも可能だと知っています。
今のあなたの迷い、問題、それはいつから抱えていますか?
何年同じことを繰り返していますか?
それは解ける物事であるけれど、今のままではいつまで経っても堂々巡りでしょう。
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