※「京都徒然(つれづれ)」は、わたしが京都にいるときに見たこと、感じたことをお伝えするコラムです。
( 徒然(つれづれ)…何もすることがなくぼんやりしていること)
今日は、梅雨(つゆ)の晴(は)れ間(ま)、
空は青く、
昼間は、日差(ひざ)しが強く、汗も(あせ)かきましたが、
夕方は、さわやかな風が吹(ふ)いています。
まだ明るく、遠くの山は薄(うす)いピンクに色付(いろづ)いています。
鴨川(かもがわ)には、
若い人、年をとった人、日本の人、外国の人、
走る人、踊る人、楽器を奏でる人、語らう恋人…、
それぞれの人が、自分の時間を楽しんでいます。
今は、陽が長い季節なので、
7時になっても、まだ明るく、
いつまでも続く、自由で穏(おだ)やかな時間が鴨川(かもがわ)にはあります。
私は、この季節、この時間に、鴨川(かもがわ)を歩くと、
ボードレールのみ「港(le Port)」という詩を思い出します。
ボードレールが歌ったのは「港」ですが、
鴨川(かもがわ)の河原(かわら)にも、同じように、
昼と夜の間のどちらでもない安(やす)らかな時間、
人それぞれが、自分を穏(おだ)やかに見つめる時間があります。
詩の冒頭(ぼうとう)をご紹介します。
港
港は、人生の闘(たたか)いに疲れた魂に(たましい)とって
魅力的な憩(いこ)いの場である。
広がる空、移(うつ)ろう雲の形、変化する海の色合(いろあ)い、
灯台(とうだい)のきらめき
——これらは目を楽しませ、決して飽(あ)きさせない
素晴らしいプリズム(光の万華鏡(まんげきょう))のようなものである。
(これはChatGPTの訳です。素晴らしい訳だと思います。)
Un port
Un port est un séjour charmant pour une âme fatiguée des luttes de la vie.
L’ampleur du ciel, l’architecture mobile des nuages, les colorations changeantes
de la mer, le scintillement des phares, sont un prisme merveilleusement propre
à amuser les yeux sans jamais les lasser.
もちろん、鴨川(かもがわ)は、
港のように、そこから出ていく船、入ってくる船はありません、
灯台(とうだい)もありません。
でも、人がそれぞれ、次の人生に進む、
束(つか)の間の中継地(ちゅうけいち)であることは確(たし)かです。
夕暮(ゆうぐ)れの静かで豊(ゆた)かな空気は同じです。
それぞれの人には、これからの人生、これまでの人生があり、
その間の、束(つか)の間の時間を、鴨川(かもがわ)で、
人生の余白(よはく)の中にあります。
あるいは、今後の人生について途方(とほう)に暮(く)れているかもしれません。
でも、そこにある時間は、わすかな時間かもしれませんが、
癒(いや)しであり、休息(きゅうそく)です。
今は、日が長い季節なので、
7時になっても、まだ明るく、
いつまでも続く、自由で穏(おだ)やかな時間が鴨川にはあります。
私は、特に、この季節の夕方の鴨川(かもがわ)が好きです。
明日は、新しい自分に旅立(たびだ)てるような気がします。
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KOBA
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