「あんたのせいだ」「あいつがいなければ」「私の人生、どうしてくれるのよ」
こうした言葉を聞いて、どう感じますか?
実はこれは多くの人が普段抱えている感情です。
これを読んで「自分もある」と感じた人はどれくらいいるでしょうか。
それとも他人を思い浮かべましたか?
私がサポートを始めようと思った理由のひとつは、このような思いが世の中に蔓延しているからです。
多くの人は自分自身のことを理解できていません。
特に他人、そして自分自身もまた攻撃対象にしてしまいます。
これは反射のようなもので、嫌な出来事があれば自然に湧き上がる感情でもあります。
しかし、そこにとどまったままでは解決することはできません。
物事は、ほとんどが自分自身から生じています。
大きな視点で見れば、私たちは「自分自身を学ぶため」に生きています。
ですので「生まれてこなければよかった」「命なんてなければいい」などと言うのは本当は成り立ちません。
人生を学ぶとは、つまり自分の未熟さを学ぶことです。
けれど、人間は都合の悪い未熟さを自分で認めるのが難しい。
だからそれを隠すために、他人のせいにしたり、愚痴を言ったり、旅行や遊びで気を紛らわせたりします。
ですが、本当の自分は「すべての自分自身を学んでほしい」と望んでいるのです。
だからこそ、未熟さを気づかせるために人生にさまざまな出来事が起こります。
小さな出来事を無視し続ければ、それはやがて大きくなって私たちに襲いかかります。
年齢を重ねれば体も頭も衰えます。
その時に今まで無視してきた大きな感情が一気にのしかかれば、誰でも耐えられなくなるでしょう。
若い頃のように勢いや遊びでごまかすやり方は通用しなくなり、身体の疾患などで顔を出し主張してきます。
だからこそ、本当にやるべきことは「良い悪いに関係なく、自分の未熟さをまっすぐに見る」ことです。
けれど世の中にはその方法がほとんど示されていません。
SNSやテレビは華やかなものや気休めばかり。
補完することばかり唱えられるので、多くの人が大人になっても自分自身と向き合わずに生きてしまうのはある部分仕方ないかもしれません。
では、どうすればいいのでしょうか?
それが私のレッスンです。
一人ひとりが全く違う学びを持って生まれてきます。
「あなたにはこの解決法よ!」と一律に言えるものではありません。
しかし自分自身と向き合いながら見つける方法はあります。
私はその見つけ方を知っています。
多くの人は「文句を言うこと」に慣れてしまっています。
そして同じように愚痴を言い合う仲間が多いほど「これでいいんだ」と錯覚してしまう。
しかしそれはとても危険なことです。
カルト同様怖いことだと思います。
正しい選択をする人は、これからは「自分自身をまっすぐに見つめる」という選択をするはずです。
自分の都合の悪い部分は見たくないものですが、そこから逃げていては学びがありません。
私自身もまったくの素人から始め、気がつけばこの方法で自分の平和な場所にたどり着くことができました。
だから誰でもたどり着けることを知っています。
ただし、自分を偽ったり、成長していないのに「もうできている」と錯覚してしまうと、そこで止まってしまいます。
ですので時に厳しく問うこともあります。
人は自分の甘えから簡単には抜けたくないのです。
学びは厳しさの中にあります。
何かを得る時、受験勉強や部活動も同じですよね。
厳しさに耐えられず堕落を選んでしまえば、それで学びは終わりです。
しかし、厳しくしているのも自分自身(あなた自身)であることも添えておきましょう。
出発も終点も全ては自分自身です。