以前、小さな観察メモで、
「go は本当に『行く』なんだろうか」
ということについて書いたことがあります。
きっかけは、Here you go. という表現でした。
「はい、どうぞ」と訳される、英語ではとてもよく使われる言葉です。
でも、ここには、日本語の「行く」のニュアンスはほとんど見当たりません。
ほかにも、
The milk went bad.
Time goes by.
The meeting went well.
などを見ていると、go の中には、「行く」よりも、もう少し抽象的な感触があるように思えてきます。
何かが動き出す。
ある方向へ進む。
そして、その先へ展開していく。
「行く」は、その一つの現れ方にすぎないのかもしれません。
今回は、その続きを、be、have、get と見てきた「英語のOS」の流れの中で、もう少し考えてみたいと思います。
【go が加わると、「方向」が生まれる】
これまでの観察編では、
be
have
get
という、ごく基本的な言葉を一つずつ見てきました。
学校では、
be = ~である
have = 持つ
get = 得る
と習います。
もちろん、それで意味をつかめることもたくさんあります。
ただ、実際の英語を見ていると、それだけでは、どうして同じ言葉がこれほどいろいろな場面で使われるのか、わからなくなることがあります。
go も、その一つです。
私には、go が加わると、そこに「方向」が生まれるように感じられます。
何かが、ただそこにあるのではない。
ある方向へ動き、その先へ進んでいく。
そんな流れの意識です。
【get dark と go dark は、何が違うのか】
たとえば、get と go は、どちらも状態の変化に使われます。
It got dark.
It went dark.
日本語にすれば、どちらも「暗くなった」です。
文法的には、どちらも「ある状態への変化」を表すことができます。
ただ、この二つを聞いたとき、私の中に浮かぶ感じは、少し違います。
get では、それまでとは違う状態へ移り変わったことに、意識が向きます。
明るかった。
それが、dark になった。
前回の get の回で見たように、まだそこになかった状態が近づいてきて、そのものの状態になっていく。
変化や切り替わりの方に、感覚の重さがあります。
一方、go では、何かが dark の方へ進み、そちら側へ入っていくように感じられます。
変化したという事実だけでなく、その流れが「どちらへ向かったのか」が見える。
そんな感触です。
My phone went dead.
と言うときも、私には、電話が単に dead という状態になったというより、動いていたものが、その流れの先で、もう動かない側へ入っていったように感じられます。
The lights went out.
にも、点いていた光が、すっと消える側へ移っていくような方向があります。
実際、go + 形容詞は、go bad、go wrong、go dead のように、物事がそれまでとは違う状態へ移るときによく使われます。好ましくない状態への変化が多いのも、一つの特徴です。
ただ、「go の後ろには悪い状態が来る」という新しい規則を覚えたいわけではありません。いろいろな表現の中で、go がどんな動きを加えているのかを眺めてみたいのです。
もちろん、英語を話す人が、go を使うたびに、このようなことを頭の中で説明しているわけではありません。
私自身も、毎回考えながら使っているわけではありません。
ただ、長く英語を聞いたり使ったりしていると、異なる表現の中に、共通する意識の向け方が見えてくることがあります。
go の場合、私にはそれが、
「ある方向へ進み、その先へ展開していく感じ」
として見えてきます。
【How did it go? が聞いているもの】
そう考えると、
How did it go?
という表現も、少し面白く感じられます。
日本語では、「どうだった?」「うまくいった?」などと訳します。
でも、go の感じを残したまま眺めてみると、ここで聞いているのは、最後の結果だけではないように思います。
始まったものが、どんなふうに進んでいったのか。
どんな流れになったのか。
その全体を、how で聞いている。
だから、
The meeting went well.
という言い方にもつながります。
会議が、どこかへ移動したわけではありません。
始まった会議が一つの流れになり、well と言える方向へ展開していった。
その進み方全体を見ている、と考えることができます。
【日本語訳ではなく、英語が見ているものを見る】
日本語では、
暗くなった。
電池が切れた。
うまくいった。
と、それぞれ違う言葉で表します。
そのため、日本語訳から英語を見ていると、go dark、go dead、go well は、互いに関係のない、別々の表現に見えます。
でも、英語の側から眺めてみると、そこには共通して、何かがある方向へ進み、その先へ展開していく感じが見えてきます。
英語は、最初に日本語で出来事の名前を決めて、それを英語へ置き換えているわけではありません。
その場で、何に意識が向いたのか。
そこに、どんな動きが見えたのか。
出来事を、どのように捉えたのか。
その違いが、言葉の選び方にも表れているように思います。
だから、go を「行く」と覚えてはいけない、ということではありません。
「行く」は、go と日本語が重なる、大切な一つの使い方です。
ただ、それを go の全部だと思わずに、いろいろな文の中で、
何が動いているのか。
どちらへ向かっているのか。
どのように展開しているのか。
を眺めてみる。
そうすると、それまで別々に覚えていた表現が、少しずつ英語の中でつながってきます。
単語の日本語訳を増やすのではなく、その言葉を通して、英語が何を見ているのかを感じ取っていく。
それが、英語の形を暗記するだけでなく、その奥にある「動き」や「向き」に入っていくことなのだと思います。
そして、この「どちらへ向かっているのか」という感覚は、この先、助動詞を見るときにも関わってきます。
英語では、何が起きているかだけではなく、その動きや可能性を、話者がどのくらい確かなものとして見ているのかも、言葉に表れます。
現実へ向かっているものとして見ているのか。
まだ可能性として眺めているのか。
少し距離を置いているのか。
will
would
can
may
こうした助動詞を見ていくと、その違いが少しずつ見えてきます。
この先は、will についても考えてみたいと思います。
will は本当に、ただの「未来」なのでしょうか。
【前回の英語のOSを整える|観察編】
──────────────────────────────────
プロフィール
英語講師のNaoです。日本育ちのまま英語を習得し、TOEIC990点取得(複数回)。20年以上、たくさんの学習者を見ながら、「なぜ話せないのか」「何が効くのか」を観察し続けてきました。そのなかでたどり着いたのが、処理構造そのものを整えるというアプローチです。英語を自立して吸収できる土台が整うと、英語は、先生がいなくても育ち続けるものになっていく。レッスンでは、そんな土台づくりを一緒にしています。
このテーマについて、少しずつ続きを書いていく予定です。
日本語コラムと合わせて、英語での発信も少しずつ増やしています。
▼ 気になった方へ
「行く」では掴みきれない、英語の感覚そのものを一緒に整理したい方
まずは気軽にお話しませんか?
学習法そのものを見直したい方
응답 (0)