日本語・韓国語講師の Hayoung_Eikoです ^ ^
「あれ? 今の言葉、どこから出てきたんだろう?」
韓国語で話していると、
たまに、自分でも不思議になる瞬間があります。
いつ、どこで覚えたのかも、
もうはっきり思い出せない。
しばらく使った記憶もなくて、
自分の中で長いこと眠っていたような単語や表現。
それがある日、会話の流れの中で突然、
スッと口から出てくる。
しかも、
「日本語ではこうだから、韓国語では……」
と考えたわけでも、
「あの時に覚えた、あの表現を使おう」
と思い出したわけでもありません。
その場の状況や相手の言葉、自分の気持ちに反応するように、
気づいたら出ていた。
そんな時、
「あれ? 私、この言葉ちゃんと持っていたんだ」
と、自分でもちょっと驚きます。
言葉が「身につく」って、いったいどういうことなんだろう?
そんなことを考えていた時、
ふと目にした、語学とはまったく関係のない記事からヒントを得ました。
その中に出てきたのが、
ある会社員の方の、定食屋さんでの話です。
店員さんから、
「ご飯、大盛り無料ですよ」
と声をかけられても、
その方は大盛りにしなかったそうです。
無料なら、ちょっと得した気分になりますよね。
でも、その方が大切にしていたのは、
「自分がこの食事で、本当に楽しみにしているものは何か」
ということ。
満足感をくれるのは、
増えたご飯ではなく、好きなおかずのほう。
だったら「無料だから」という理由だけで、
それほど欲しいわけでもないものまで増やさなくていい。
ここで私が面白いと思ったのは、
「大盛りを我慢した」ことではありません。
「得だから受け取る」ではなく、
「自分にとって何に価値があるのか」で選んでいること。
この考え方、語学にも、どこか似ている気がしました。
語学では、
新しい単語を覚えた。
新しい文法を理解した。
教材がここまで進んだ。
そんな「増えたもの」は、
とても目に見えやすいですよね。
私も、
「この表現も覚えたい」
「せっかく教えてもらったんだから、使えるようになりたい」
と、つい欲張ってしまいます。
もちろん、新しい言葉を知ることも、
語彙を増やすことも大切。
でも、
「増えた」ことと、
「自分の中につながった」ことは、
少し違うのかもしれない。
では、一つの言葉が
「自分の中につながる」って、どういうことだろう?
新しい韓国語に出会ったら、
私は日本語の意味もきちんと確認します。
それと同時に、
「どんな場面で使っていた?」
「誰が誰に言っていた?」
「どんな気持ち?」
「ポジティブ? ネガティブ?」
「強い? 柔らかい?」
「本気? それとも冗談?」
そんなことも一緒に見ています。
というのも、韓国語と日本語では、
意味が近い言葉でも、
「その言葉が自然に出てくる場所」まで同じとは限らない
からです。
韓国ではごく自然に交わされる一言が、
同じような場面の日本では、
そもそもあまり交わされないこともあります。
だから私は、
「日本語なら何て言う?」
だけではなく、
「韓国では、この場面、この関係、この気持ちで、
この言葉が出てくるんだ」
と、場面ごと受け取るようにしています。
そうしていると、
一つ一つの言葉を
自分の中のどこかに置いているような感覚があります。
勝手に名前をつけるなら、
「ことばの座標」
でしょうか。
この座標は固定ではありません。
別の場面で同じ言葉に出会えば、
「こんなニュアンスもあるんだ」
と、少しずつ位置が変わっていきます。
一つの日本語訳の隣に
韓国語を置いて終わるのではなく、
場面、相手との関係、感情、声のトーン。
出会うたびに情報が加わって、
その言葉の輪郭が少しずつはっきりしていく。
知っていた言葉が、立体的になっていく。
でも、こうして「ことばの座標」ができても、
すぐに会話で使えるとは限りません。
そこで思い浮かぶ韓国語が、
「말문이 트이다」
です。
「言葉が出るようになる」
「話せるようになる」
という感覚で使われる表現ですが、
私が惹かれるのは 「트이다」 の感覚。
트이다 には、
塞がれていたところが開ける、通じる、
という意味があります。
何もなかったところから、
突然その言葉が現れたわけではない。
それまでに出会った言葉や場面、
そこで感じたニュアンスが自分の中に残っていて、
ある時、ふっとつながる。
言葉までの道が通る。
すると、
シチュエーション → 日本語で考える → 韓国語に置き換える
ではなく、
シチュエーションや感情 → 韓国語
と、直接つながる。
こう考えるようになってから、
「最近、あまり伸びていない気がする」
という時期も、少し違って見えるようになりました。
新しい単語は増えていなくても、
以前知った言葉を違う場面で耳にして、
「あ、こういうニュアンスなんだ」と腑に落ちる。
そんな時にも、
自分の中の「ことばの座標」は、
少しずつ動いているのかもしれません。
そして、今はまだ口から出てこない言葉も、
「まだ使えない」ではなく、
「今も、どこかがつながっている途中なのかもしれない」。
いつか、その言葉にぴったりの場面がやってきた時、
ふっと道が 「트이다」 する。
私自身もまだ、
そんな「ことばの座標」を作っている途中です。
次はどんな言葉への道がふっと開くのか、
そんな瞬間も楽しみにしながら、
これからも韓国語と付き合っていきたいと思います。
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